還暦から10年、17期は今年古希を迎えることになりました。それを記念して、「古希の集い」を開催しました。
このところ、台風が来たり、秋の長雨がつづき、憂鬱な日々でしたが、この日は、晴れ男か晴れ女か・・・晴れジジイか、晴れババアか分かりませんが、とにかく120名を超す方々が集まったら、天気が遠慮して、良い天気になってくれました。
50歳で初めて学年全体の同窓会を開催し、10年後に還暦の集い、そして今回古希の集いと、10年ごとに開催してきました。
17時30分開宴でしたが、全体での写真や、クラスごとの写真を撮ろうとしたので、スタートは遅れ、遅刻したメンバーがいるから、クラスごとの写真は撮り直そう・・・、などと開会時刻は送れるばかり。しかし、「早く飲ませろ!」と暴れるメンバーもなく、18時を少し過ぎてから、矢島(星野)望さん(1組)・堀秀一君(2組)の司会で始まりました。
当時応援団長として名を馳せた山本博君(8組)の音頭で、高校校歌を歌い、昔の雰囲気がだんだんと出てきました。
408名の卒業生に対し、これまでに亡くなった方39名の冥福を祈って黙祷。
代表幹事の挨拶の後、恩師の斉藤親照先生・・・さすが体育の先生だけあって、健康法を伝授頂きました。牧野嘉鶴子先生・・・横高は男尊女卑で、昔は女性教員にはクラスは持たせてもらえなかったが、初めて持てたのが17期だったという話や、初めての女性の校長である、九石先生が、今のスーパーサイエンススクール横高を熱く語って頂きました。
ここで、やっと大森君(6組)の発声で乾杯。話に大きな花が咲き始めました。
立食スタイルでしたが、広い会場にクラスごとのテーブルに分かれて、着席できましたが、席を開けっ放しの人も多く、あちこちで話の渦が滞留し、大いに盛り上がりました。
2年の時、NHKの合唱コンクールで全国優勝したメンバーが集まり、大阪や滋賀から来たメンバーも加わって、昔の美声を会場に響き渡らせました。良い響きだったかどうかは、記憶にありません。
最後に、また山本君の音頭で、坂東武者を歌ってお開きとしました。
この日は日曜日だったので、二次会場探しに困ると考え、幹事はホテル内に別室を用意しておりました。そこでも10年や20年・・・はたまた半世紀ぶりの話が尽きず、最後は会場に催促されて、散会しました。さらに三次会に行った方々もいたと聞きました。
収支決算は、先日最後の幹事会で報告され、会議会場を提供して頂いていた堀建設様にお礼とわずかばかりを差し上げ、会場で皆様にご承認頂いたとおり、残りを2等分して記恩ヶ丘奨学基金と、朋友会へ寄付いたしました。また、当日横高百周年記念時に制作した校歌・応援歌CDとDVDを希望者に寄付を得て配布しました。その金額は10,750円になりました。
次回の会ですが、10年後では遅いという話で、では喜寿かな?とか、5年後が良いとか、3年後とか、2年後とか・・・・・・いろいろな意見は出ましたが、元気な奴が発案して進めようと、特段時期は決めずに最後の幹事会を終了いたしました。皆様、ありがとうございました。
(文責 和田良平8組)