朋友会
  • 会員情報変更
  • お問い合せ
ホーム  >  知る  >  校史資料室  >  【紹介】 校史資料室連載⑦ 『文化祭』

【紹介】 校史資料室連載⑦ 『文化祭』


卒業生が在学中の思い出を語るとき体育祭や文化祭をあげることが多い。時代とともに開催形態や内容に変化はあるものの、青春時代の思い出であることに違いはない。文化祭とは若干趣を異にするが、大正時代の天長節(天皇誕生日)や開校記念日では、生徒の作品展覧会が父兄にも公開されていた。
1950(昭和25)年の創立42周年記念祭からは、文化祭と体育祭が複合された形で開催されることになった。1961(昭和36)年から3年に一度の文化祭となるなど、様々な形態を経て、1983(昭和58)年に、現在の隔年実施の形が定着した。

◆父兄の参観で賑わう生徒の作品展覧会
0615-1.jpg
例年、10月31日に天長節祝賀式が行われるが、1924(大正13)年とその翌年は、「生徒の図画及び習字の作品展覧会」が3日間開催された。大正時代の初期の頃は、6月20日の開校記念日に「生徒の成績品を陳列して来賓、父兄に観覧」と記録に残る。

◆創立40周年記念祭に他校から訪れた女生徒
0615-2.jpg
新制横須賀高等学校が発足した1948(昭和23)年、創立40周年の記念祭が実施され、式典のほか市内の高校を招待しての球技大会、展覧会等が公開された。 杉の葉で装飾された門柱に、米軍政部から支給された英語の校名板「Kanagawa Prefecture Yokosuka Upper Secondly school」が見える。

◇今は? フィナーレで観客から花束が贈呈される (会報「朋友」第83号 平成27年9月1日掲載 表紙写真)
0615-3.jpg
1983年の生徒総会で体育祭と文化祭の隔年実施が決まる。 2004(平成16)年の頃からクラスごとの劇やミュージカル発表が定着し、横高に新しい伝統が生まれた。16期生から実施された3年間クラス替えのない現制度は、クラスの結束をより強固にした。9月は横高生にとって一年で一番熱い季節である。(57期卒業アルバムより)


★感想や追加情報等がありましたら、ホームページ内「お問い合わせ」またはメール(office@kenyoko-hyk.jp)にて朋友オフィスまでご連絡ください。
ページの上に戻る