【紹介】 校史資料室連載④ 『図書館』
◆コンプトン辞書獲得競争に入賞
1936(昭和11)年、現在の体育館前辺りに二階建てからなる新図書館が完成した。階上閲覧室は生徒のための図書室で、階下は職員用となっていた。戦後、再出発した図書室は図書の収集、蔵書数の増加を図るため、生徒の自由閲覧を制限した。書架の前に柵を設け、生徒委員による出納式としたため、「眺める図書室」と悪口を言われていた。1951(昭和26)年には、GHQ関東民間教育部主催の学校図書館協議会コンプトン辞書獲得競争に入賞している。当時の蔵書数は約5千200冊。
◆模範的学校独立図書館
1953(昭和28)年5月、一人の超人的教師依田正徳の研究心と情熱が全国でも有数の独立図書館を誕生させた。「学校における図書教育にとどまらず、視聴覚、情操的な教育の中心、すなわちスクールセンターとしての図書館の役割が必要」との構想が実現した。展示室、視聴覚室、高い天井に広い閲覧室、テラスのある西洋式庭園を備えたモダンなものであった。この頃は教科選択制であり、生徒は空いた時間をブランクと称して図書館に通いつめていた。蔵書数は約1万2千冊とある。
◇今は?今も昔も変わらぬ閲覧室風景 (会報「朋友」第80号 平成26年3月1日掲載 表紙写真)
学校図書館を本校舎の中に組み込む現在の方式は、木造から鉄筋校舎へと改築される中で一つの様式として定着していった。現図書室は1976(昭和51)年に竣工したD棟の中にある。学内には自学自習室も設置され、生徒を取り巻く教育環境も大きく変わったが、昼休みや放課後、図書室を訪れる生徒たちは多い。百周年時、よりよい教育環境づくり事業としてパソコンによる図書管理システムが整備された。現在の蔵書数は約4万冊。
★感想や追加情報等がありましたら、ホームページ内「お問い合わせ」またはメール(office@kenyoko-hyk.jp)にて朋友オフィスまでご連絡ください。
1936(昭和11)年、現在の体育館前辺りに二階建てからなる新図書館が完成した。階上閲覧室は生徒のための図書室で、階下は職員用となっていた。戦後、再出発した図書室は図書の収集、蔵書数の増加を図るため、生徒の自由閲覧を制限した。書架の前に柵を設け、生徒委員による出納式としたため、「眺める図書室」と悪口を言われていた。1951(昭和26)年には、GHQ関東民間教育部主催の学校図書館協議会コンプトン辞書獲得競争に入賞している。当時の蔵書数は約5千200冊。
◆模範的学校独立図書館
1953(昭和28)年5月、一人の超人的教師依田正徳の研究心と情熱が全国でも有数の独立図書館を誕生させた。「学校における図書教育にとどまらず、視聴覚、情操的な教育の中心、すなわちスクールセンターとしての図書館の役割が必要」との構想が実現した。展示室、視聴覚室、高い天井に広い閲覧室、テラスのある西洋式庭園を備えたモダンなものであった。この頃は教科選択制であり、生徒は空いた時間をブランクと称して図書館に通いつめていた。蔵書数は約1万2千冊とある。
◇今は?今も昔も変わらぬ閲覧室風景 (会報「朋友」第80号 平成26年3月1日掲載 表紙写真)
学校図書館を本校舎の中に組み込む現在の方式は、木造から鉄筋校舎へと改築される中で一つの様式として定着していった。現図書室は1976(昭和51)年に竣工したD棟の中にある。学内には自学自習室も設置され、生徒を取り巻く教育環境も大きく変わったが、昼休みや放課後、図書室を訪れる生徒たちは多い。百周年時、よりよい教育環境づくり事業としてパソコンによる図書管理システムが整備された。現在の蔵書数は約4万冊。
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