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【エッセイ】 戦時下の横中生活


横中34期 窪田 隆

その一
 正門をくぐると広い校庭である。
 その校庭で週に一度教練と稱される軍事教育が行われた。
「気を付け!」年令に似合わない退役陸軍中佐前田教官の甲高い声が響く。    
 それは例え天変地異が起きても微動だに動くことは許されない命令である。
 その日朝から体調が少し良くなかった私の身体が僅かに揺れたのを前田教官は見逃さなかった。
「こらー!貴様!」つかつかと近寄ると腰に下げたサーベルを持ち上げて私の頭上に落した。
「ズーン」頭の芯まで響いた。頭の中がボーっとなって空虚になった。

その二
 「我は官軍我が敵は」の歌詞で始まる行進曲が金曜午後の校庭に鳴り響く。
 「分列にー!進め!」校庭正面右側の講堂前に整列した学年別の隊列(中隊と言った)が順次行進を始める。正面玄関前に置かれた号令台の上に立つ大隊長(校長のこと)の前にさしかかると「かしらー!右!」の声がかかる。
 最後に出発した最上級生の肩には銃が担がれている。
 その銃は同一のものではなかった。古い様式の「村田銃」日本人の体格には少し重い感じの「三八式歩兵銃」それを改良したと稱される銃身の少し短い「四一式歩兵銃」等々である。
 正門には横中の近所の人達が見学に集っていた。何人と思いながら眺めていたのだろう。

その三
 アリューシャン列島アッシ島の守備隊が米軍の攻撃の前に全員玉砕し(全滅のこと)ガダルカナル島やニューギニア島の戦線から転進し(退却のこと)又ハワイ攻撃の仇討の様に日本海軍の重要な前進基地であるトラック島が猛撃されて大損害を出し、日本海軍のその後の命運を決したミッドウェー海戦では最重要戦力である正規航空母艦の殆どを失ってしまった。
 わが横須賀の海軍工廠で建造された新鋭航空母艦の「蒼龍」もその海戦で失い連合艦隊司令長官の古賀海軍大将も戦死した。
 我々横中生が勤労動員された京急八つ坂駅前の大日本兵器(現イトーヨーカドー)で作業していた或る日、突然空襲警報が鳴った。
 我々は近くの待避壕に退避したが同級生のT君が外の様子が気になって一寸身体を外に出した。まさにその瞬間工場に銃撃を加えていた来襲米軍機の弾丸が地面に当たってはね返り、その破片がT君の右目に当たってしまった。すぐに救急所で手当をしたが遂に失目してしまった。平和が続く今日では想像出来ない悲劇である。

 全てはもう再び体験出来ない或る日の横中生活である。

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