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【紹介】 校史資料室連載⑥ 『修学旅行 -横高時代-』


修学旅行が復活するのは、戦後、交通網や食料事情が回復し始める1950(昭和25)年である。3年生は一泊二日の箱根であった。翌年の4期生からは関西方面へお米持参の旅行となったが、夜行列車で10時間を要していた。
 時代とともに実施内容、行き先、交通手段等は異なるが、1977(昭和52)年からは2年生のみの修学旅行となった。1997(平成9)年には飛行機利用が始まり、往路は飛行機、復路は寝台列車の記録も残る。翌年から往復飛行機利用となり、北海道での乗馬、ラフティング等の体験学習が主流となった。2007(平成19)年国際感覚の育成、異文化交流を目的に、初の海外修学旅行が行われ、61期生がオーストラリアへ、翌年62期生がシンガポールへと出発した。

◆京都観光のガイドさんと記念写真を撮る10期生
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6期生の古希記念文集によると、「1953(昭和28)年5月2日夜、品川駅で臨時列車に乗り、関西に向かう」とあり、横高に割り当てられた車両は2両で、床に紙を強いて座るものもいた。10期生の写真に見るように名勝地や神社・仏閣等を遊覧バスで巡る社会見学型の修学旅行であった。3年生で出かけるのは、1963(昭和38)年が最後となった。

◇30年前は? 吉田庫三初代校長のお墓に参拝する34期生
(会報「朋友」第82号 平成27年3月1日掲載 表紙写真)
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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となった山口県萩市は、吉田松陰、吉田庫三初代校長のお墓があることでも知られる。創立70周年時、朋友会が「遺薫千載」の顕彰碑を建立した。この頃は行先も山陰・山陽、四国、九州と多岐にわたっていた。グループ行動の一環で、吉田庫三校長の墓参に訪れる生徒も多かった。

◇今は? 大自然を満喫する貴重な体験となった65期生
(会報「朋友」第82号 平成27年3月1日掲載 表紙写真)
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2年続いた海外修学旅行は、63期生から日程や費用の関係で再び国内へと変更。北海道大学での体験授業、乗馬、ラフティング川下り、ジャムやアイス作りなど体験型修学旅行となる。68期生から沖縄に変わり、マリンスポーツや平和学習、環境学習などを行っている。


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