神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】竹岡 力 さん(高64期)
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(取材日:2017年3月22日)

プロフィール
2006 横須賀市立神明小学校卒業
2009年 横須賀市立神明中学校卒業
2009年 県立横須賀高校入学
 
横高に入れたことに満足してしまい、高校ではほとんど勉強しませんでした。毎日が野球漬けの日々で、部活を引退してからも体育祭のカラー長をやって、本格的に受験勉強を始めたのは3年の10月です。結果は、見事に浪人しました。
2012年 県立横須賀高校卒業
2013年 成蹊大学法学部政治学科入学
 大学に入って地域に関わるようになり、1年生のときに選挙のボランティアや国会議員・市議会議員のもとでインターンを始めました。1年生のときに「学生団体スカペンコ」を立ち上げ、「横須賀学生政策コンペ」を主催するようになりました。3年生からは地元ハイランド1丁目の自治会で役員を務めました。4年生になる頃からは、政策コンペの参加者らと一緒に新たな「Sukable」という団体を作って、代表をやっていました。
2017年 成蹊大学法学部政治学科卒業
2017年 株式会社ベネッセコーポレーション入社予定
 
 
大学生時代に、色々な活動をしていたとお聞きしましたが、詳しくお聞かせ ください。
 一つはプロフィールで挙げた「横須賀学生政策コンペ」をはじめとした、若者と政治やまちづくりをつなげる試みです。
 近年若者の政治離れや社会的関心の低下が叫ばれていますが、その状況をどうにか打破できないかと活動をしてきました。コンペの主催のほか、市内の高校に出向いて主権者教育の出前授業を行ったり、他団体と協力して選挙啓発や政治に関心を持ってもらえるような情報の発信行ったりしていました。
 政策コンペで提言された案が実際に形になっていく過程にも立ち会うことができ、第1回では地域のファッションツールとして「ヨコスカネイビーパーカー」が大きな注目を集め、1000着が完売しました。第2回の「空き家活用プロジェ クト」は、谷戸地区の空き家を若者の拠点にできるように、現在まさに改修作業(リノベーション)を行っているところです。
 もう一つの団体では、横須賀で「これをやりたい」とか「何かやりたいけど一歩を踏み出せない」というような思いを持った学生をサポートしてきました。これは政策コンペに出場したチームが実際にプランを実行しようとしたときに、誰を頼ればよいか、何から手をつければよいのか分からないという声を耳にして、それを支援できる環境が必要だと感じ始めたものです。
 具体的には応援してくれそうな社会人の方を紹介したり、実行できる場所やコミュニティを提供したり、時には集客のお手伝いなどもしていました。昨年からは「ヨコスカ未来100人会議」という若者を集めるイベントを開き、地域を盛り上げるようなアイデア作りを高校生などと一緒に行っています。「横須賀で何かやるにはここ」と若い世代に頼ってもらえるような組織を目指しています。
     
     
      学生政策コンペの皆さんと
     
       具体的には応援してくれそうな社会人の方を紹介したり、実行できる場所やコミュニティを提供したり、時には集客のお手伝いなどもしていました。昨年からは「ヨコスカ未来100人会議」という若者を集めるイベントを開き、地域を盛り上げるようなアイデア作りを高校生などと一緒に行っています。「横須賀で何かやるにはここ」と若い世代に頼ってもらえるような組織を目指しています。
     
このような活動を行うきっかけ動機は、何だったのですか。
     
       幼いころから地域の方々に本当によく面倒を見ていただいて、いつかは自分も地域の役に立ちたいという気持ちがどこかにありました。それが顕在化する直接のきっかけになったのは、大学に入ってから経験した選挙のお手伝いです。
 この街のことを本気で考えて訴える政治家のそばで見ていて、自分にも何かできるのではないかと考えました。街づくりの担い手はあくまで市民であり、行政にあれをやれこれをやれと批判する前に、自分で提案して自分で行動してみることが大事だと思ったのです。
     
 
小学校、中学校時代は、どんな生徒でしたか。
 横高に入ることは、小学生の頃からの憧れでした。中学校では生徒会長を務めました。
 野球を始めたのも中学からで、小さい頃からやってきたチームメイトに負けないように必死に練習しました。3年生のときにエースナンバーをもらったときは、本当に嬉しかったことをよく覚えています。
     
     
      エース背番号を付けて剛速球
横高時代の思い出や、恩師についてお聞かせ下さい。
       高校時代何をやっていたかと振り返ってすぐに思いつくのは野球ですが、一番の思い出は3年最後の体育祭です。1年生のときの体育祭を終えた時から最後にカラー長をやりたいと意気込んでいて、練習や作戦を考えることには本気で取り組みました。夏休みの受験勉強は二の次で、毎日学校に来て準備したことをよく覚えています。最終的には優勝出来なかったのですが、解団式でカラーのみんなが胴上げしてくれたことは一生の思い出です。
     
     
      体育祭で胴上げされた時
     
       担任だった濱本先生には非常にお世話になって、私の甘い考えはすべて見透かされていたようなきがします。大学に入ってからも時々近況報告に伺っているのですが、高校時代好き勝手やってたことを「それも必要なことだったんだよ」とのお言葉をいただき、本当に教え子のことをよく見てくださる先生に出会えたことを幸せに思いました。
     
     
     
在校生に一言メッセージをお願いします。
     
       私がそうであったように、人生一度しかない高校生活3年間を思いきり楽しんでほしいと思います。横高は3年間クラス替えがなく、交友関係が狭いのではないかと外から見られがちですが、そんなことはありません。他のクラスも他の部活も、先輩も後輩も、友達の友達はみんな友達。信頼できる仲間の仲間なのだから。私もまだ23年しか生きていませんが、生涯付き合っていける友人は横高できっとたくさん見つかると思います。
     
最後に将来の夢、抱負をお聞かせ下さい。
     
       民間企業に就職して揉まれ、鍛えられ、今より何十倍、何百倍と成長できたら、横須賀に戻って地域に関わる仕事がしたいと思います。私が通っていた大学がある吉祥寺は住みたい街ナンバーワンとして知られていますが、横須賀がそうであってほしいとは思っていません。みんなから愛されることに越したことはありませんが、横須賀に関わるそれぞれの人にとってのオンリーワンであってほしいと思います。そんな街づくりを、本気でやりたいと思います。
     
 
取材後記
 3月22日(水)に、京急久里浜駅の改札口で待ち合せして、近くの喫茶店で、最終確認の打ち合わせを行いました。「横須賀政策コンペ」を主催する学生団体「スカペンコ」の代表を務めるたり、地元ハイランド1丁目の自治会の役員を務めたり、横須賀市長の選挙ボランティアに参加したり、市議会議員のインターンになったりして、地域の色々な活動を精力的に行ってきて、充実した大学生時代の毎日だったと思います。4月からは民間企業に就職も決まり世間の荒波に揉まれ、鍛えられる日々を送るとの事。将来の夢に向かって、精一杯頑張って下さい。陰ながら応援をしております。頑張れ!頑張れ!若手のホープ!! (高10期饗場元二)
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