神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】宮本 史利 さん(高47期)
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(取材日:2016年8月22日)

プロフィール
1992年 横須賀市立馬堀中学校卒業
1992年 県立横須賀高校入学 2組
1995年 県立横須賀高校卒業
2000年 横浜市立大学商学部卒業
2005年 東京芸術大学声楽科卒業
2011年 イタリア パルマ国立音楽院3年コース 満点で卒業
2008年より 20世紀最高のソプラノ歌手の一人、ミレッラ・フレーニの下で研鑽
2010年 ロッシーニ・オペラ・フェスティバル・アカデミーのオーディションに合格
≪ランスへの旅≫公演で主役の一人「トロンボノック男爵」として出演
2011年 モデナ・パヴァロッティ劇場のシーズンオペラ≪マクベス≫の医師役で出演
2012年 同劇場で≪フィガロの結婚≫ドン・バルトロ役で出演
2013年 キエーティ・マッルチーノ劇場のシーズンオペラ《アルジェのイタリア女》タッデーオ役として出演
2014年 パルマ王立劇場ではシーズンオペラ《結婚手形》ズルック役として出演
2015年 モデナ・パヴァロッティ劇場≪ドン・ジョヴァンニ≫マゼット役と重要な役で出演を重ねてきている
フェスティヴァル・プッチーニ・アカデミーのオーディションに合格し、61回の歴史を持つフェスティヴァル・プッチーニの公演にタイトルロールであるジャンニ・スキッキ役で出演
2016年 パルマ王立劇場でシーズンオペラ《なりゆき泥棒》ドン・パルメニオーネ役として出演
2017年 イタリアの永住権を取得
          
第12回JILA音楽コンクール声楽部門第1位。第4回マルティーニ国際声楽コンクール入選。
これまでに、湯川晃平、白幡武、高丈二、渡邊明、L.カピルピ、G.パンツァ、M.フレーニ、E.ダーラの各氏に師事
  
       
オペラ歌手になろうと思ったのは?
 最初は野球好きの野球少年でした。しかし、一生懸命取り組んでも上手になりませんでした。中学の頃は遊び程度にバンドの真似事などもして、キーボードも担当したりしましたが、ある時にショパンの音楽に出会いとても感動をしました。
 横高に入っても、野球部に所属していましたが、音楽の先生に誘われ二年生の時から音楽部を掛け持ちするようになり、野球のユニフォームを着たまま、音楽部の練習に参加すると言う状況でしたよ。野球部では練習の時から大きな声を出すことを要求されます。そのために声は大きかったですよ。これがオペラ歌手になるために役に立ったかもしれません。
 最初は、ショパンのような曲を書きたいと思い、作曲家を目指していました。しかし、芸大作曲科の受験は大変に難しく途方に暮れました。
 結局横浜市大に入りましたが、それから作曲の先生を紹介してもらい、本格的に音楽の勉強をスタートさせました。その頃に、たまたま「コールよこすか」という合唱団体でヨーロッパに行くことができ、オーストリアのザルツブルクで歌などをして、ヨーロッパへの憧れが急激に高まりました。
 声楽への転向は、作曲科の受験を2回チャレンジした後、作曲について悩んでいると、音楽部の湯川先生から、「それなら声楽をやってみるか」と勧められたことがきっかけです。
     
なりたくても、なかなかなれるものではありませんが、幸運の女神はどこにいましたか?
 湯川先生は、オペラ歌手としても活躍する白幡武先生をご紹介くださりましたが、彼がダメだと言ったら諦めろ、と言われました。
 しかし、白幡先生のご指導によって幸運にも東京芸術大学の声楽科に合格することができました。卒業後はイタリアに行き、そこで学んだことは全てが大変役にたつものでしたが、特に幸運だったのが、4年目で世界的に有名なミレッラ・フレーニ先生のマスタークラスのオーディションに合格し、受講することができました。
 マスタークラスそのものが年間コースのオーディションでもあったのですが、学校長より「おめでとう」と言われなんのことだかわからなかったのですが、年間コースに合格したと伝えられ、そこに進むことになりました。学費は3,500ユーロ。(当時のレートで60万円くらい)
 2年目には学費が下がり、3年目からは奨学金として学費が免除されました。コンサートやオペラに出演し出演料などをいただくこともできるようになり、まさに、フレーニ先生こそが、幸運の女神といえるでしょうか。
フレーニ先生(横須賀での「里帰りコンサート」の時に先生の写真を前に、おしゃべりをしています)
お世話になった先生方と、学生
留学中に尋ねてきた父と(この頃はかなり長髪でした) コンクールで入賞しました
オペラでの出演中(右端は「肉屋でアルバイト」ではありません。)
イタリア語を学ばなければなりませんが、苦労談を。
 イタリア語を全く話せない状態でイタリアに渡ったのですが、イタリアの授業にはほとんどついていくことができませんでした。しかし、授業を通して友人もたくさんでき、2006年からは合唱団員としてオペラ公演に参加させて頂いたので、そのような現場で様々なイタリア語を覚えていきました。今でも雑談などには苦労しますが、音楽と食事の話題でしたら困ることはありません。
最近の若者は、海外に出たがらないと聞きますが
 日本は本当に生活しやすいところだと思います。しかし、海外へ行ってみて、視野が随分と広がった感じがします。様々な国の友人と関わることで、今まで知らなかった世界の常識などが見えてきます。例えば、中国人の友人などは、自国でフェイスブックやユーチューブなども見れないといいます。日本の常識は世界の常識ではないことを知りました。そして、イタリアに渡ってから、日本のことをもっと知りたいと思うようになりました。震災後には東北地方を訪れて実際に目で見てみました。海外に出ることによって、さらに日本が好きになるのだと思います。
歌声をお聞かせ下さい。
                            
では、その1 デンツァ作曲「フニクリフニクラ」  ピアノは、松田小百合さん(高44期) いずれも2015年9月5日ヨコスカ・ベイサイド・ポケットでの演奏です。
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その2 ドニゼッティ作曲 オペラ「愛の妙薬」より 「美しいパリスのように」 ピアノは松田小百合さんです。
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その3 ロッシーニ作曲 オペラ「チェルネントラ(シンデレラ)」より 「お前たちのどちらかが」 ピアノは松田小百合さんです。 早口言葉を堪能して下さい。
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その4 モーツァルト作曲 オペラ「ドンジョバンニ」より カタログの歌 ピアノは松田小百合さんです。  身振り手振りをご注目!
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よこすかの音楽家を支援する会について、お聞かせ下さい
 会のホームページはこちらからご覧下さい。イタリアに渡って10年が経った頃、地元横須賀のために何かできないか、と考えるようになり、この会を立ち上げました。 横須賀の市民の皆様に日常から音楽を楽しんでいただくため、また、横須賀の音楽文化振興に少しでも寄与したいと思っています。音楽家同士が、演奏を聴きあうなど、手を携えて活動をしていくことも重要だと思って活動をしています。
取材後記
 最初の取材は、2015年にしたのですが、現役で活躍するオペラ歌手というのをどうまとめるか、なかなか手が着かなくて、再度取材をお願いして、やっとまとめました。そのために内容を現時点に合うように少し変更しています。「声のでかい奴だなあ」というイメージが、ホントのオペラ歌手になるという変化を身近で見てきたので、驚きの限りです。
 「宮本史利里帰りコンサート」を撮影し、編集時に字幕を入れましたが、その歌詞と本人の仕草がぴったり合っているのにはびっくり。イタリア語を理解して歌えば当然だとは思うのですが、きちんと合うと観ても聴いても気持ちが良いものです。
 本人のこれからの活躍と、横須賀出身の音楽家の育成という大きな取り組みが成功するように、見守って参ります。和田良平(高17期)
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