(取材日:2015年10月27日) | ||
プロフィール |
1985年 | 横須賀市立小原台小学校卒業 | |||
1988年 | 横須賀市立鴨居中学校卒業 | |||
1992年 | 県立横須賀高校卒業 | |||
1999年 | 帝京大学医学部医学科卒業 | |||
2003年 | 横浜市立大学医学部大学院外科系整形外科専攻卒業 | |||
2003年~2004年 | 横浜市立大学医学部付属病院 | |||
2004年~2006年 | 横須賀市立うわまち病院整形外科 | |||
2006年~2007年 | 葉梨整形外科 | |||
2007年~2008年 | ふれあい東戸塚ホスピタル整形外科 | |||
2008年~2011年 | 横須賀市立うわまち病院整形外科常勤 | |||
2012年~現在 | 横須賀市立うわまち病院整形外科非常勤 | |||
2012年~現在 | さいとう整形クリニック | |||
【主な所属・資格】 | 日本整形外科学会専門医 |
日本整形外科リウマチ認定医 |
日本リュウマチ学会専門医 |
● | お仕事について 現在のお仕事をお聞かせ下さい | |
横須賀市立うわまち病院整形外科(非常勤)医師として毎週、金曜日の午前中 |
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「横須賀市立うわまち病院」 2015年5月現在、診療科目28科、病床数417床(一般病床317床・回復期リハビリテーション病床50床・療養病床50床)の総合病院です。 うわまち病院には、横高卒業生が22名もおり今年の2月13日にやなせ支店(高18期)にて、朋友会うわまち病院同窓会を開催しました。当日は、高36期から高62期まで19名が集まり大変盛り上がりました。(朋友会ホームページに写真入りで掲載されております=ここです。) |
「さいとう整形クリニック」 横須賀市吉井にある、さいとう整形クリニックは、診療科目(整形外科・スポーツ整形外科・リウマチ科・リハビリテーション科)の整形外科専門クリニックです。私は、2012年4月から整形外科医として勤務しております。 |
● | 医者を志した理由をお聞かせください |
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なぜ医学部を目指したかというと、専門的な職業につきたかったからです。 |
● | 御主人も横高卒業生で、整形外科医だとお聞きしておりますが、出会いなどをお聞かせください |
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主人は高33期です。ずっと上ですが、水泳部で部活も同じです。横浜市立大学整形外科の同門で、横須賀市立うわまち病院に2008年に人事異動してきて知り合いました。現在、横須賀市立うわまち病院の整形外科科長をしております。 |
うわまち病院にて 右がご主人 |
● | 専門のリウマチについてお尋ねしたいのですが。昔からお年寄りがよく言っていた手足の痛みをリウマチと思っておりました・・・ |
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加齢によるものは関節痛で「関節リウマチ」とは全く違います。 |
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● | 治療は? | |
飲み薬・注射などの薬物治療が必要で、リハビリは機能維持のために行います。 |
● | 原因・予防は? |
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遺伝的な要因、環境、食事などの複合要素がありますが、あまりはっきりわかっていません。なので、絶対的な予防法もありません。 |
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● | 朋友会の前会長、松生渾さんの手術を執刀されたとのことですが |
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松生さんとは、松生さんがゴルフカートに膝を突っ込まれ骨折したとき、手術を執刀して以来のご縁です。辛抱強いためなのか、体力がおありだったのか、 |
松生渾さんからのメッセージ |
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● | 高校時代は、どんな生徒でしたか |
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水泳部で、熱心というほどでなく、ほどほどに頑張りました。授業がない時や休み時間にプールに浮かんでポーとするのが好きでした。英語と国語が大好きで、もちろん熱心に勉強しました。文系に進むつもりで、数学は全く勉強せず、高2で理転して大変苦労しました。授業はちんぷんかんぷんで、よく居眠りしたり授業を抜け出し空き教室で友達としゃべったりして、不真面目な生徒でした。 |
水泳部前列一番右が長谷川さん | 2列目一番左が長谷川さん |
● | 横高時代に、印象に残った先生はいましたか | |
横高時代に人生に影響を与えるような先生にはお会いしませんが、お友達のような優しい先生がたくさんいらっしゃって、中学までの怖い先生とは違って、楽しかったです。昔は、今とは違って、大学を卒業してからずっと横高の先生というような先生がたくさんいらっしゃいました。体育の大森恵子先生(高17期・陸上部OB)は、体育の先生とは思えないほどおっとりして優しくて好きでした。よっぽど走るのが好きだったのか、クロカンの練習のときはいつも一緒に走ってくれるのがうれしかったです。ちなみに私は長距離走が苦手でした。 |
● | 在校生へのメッセージをお願いします | |
なるべくたくさんいろいろな経験をすることでしょうか。柔軟性のあるころの経験というのは後に生きてきます。人生の方向を決めるのにも必要です。文化祭や体育祭などの学校行事は今でも大事な思い出です。横高は体育もハードでしたが、仕事には体力が必要です。身を入れてがんばりましょう。 |
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● | お父さん、伯父さん、伯母さんも横高卒業生、おじいさんも横中卒業生、横高ファミリーですね。皆様のご紹介をお願いいたします。 |
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わが家の横中・横高卒業生を紹介いたします。私は祖父から数えて3代目です。 祖父 近藤石蔵(故人・中14期)現役時代は、質屋業(有)近藤商店を経営していました。朋友会会長を1967(昭和42)年5月~1971(昭和46)年4月まで、2期4年間務めておりました。 父 簗瀬元好(高18期)ひれかつの「やなせ支店」を経営しています。 母 簗瀬富美は、横高卒業生ではありませんが、近藤石蔵の次女です。 私 長谷川美穂(高44期)整形外科医をしております。 夫 長谷川敬和(高33期)横須賀市立うわまち病院・整形外科科長です。 伯父伯母 近藤雄亮(高4期)と近藤芳子(高6期)は夫婦で横高卒業生です 伯父伯母 青木久(中35期)と青木喜美(高6期)は夫婦で横中・横高の卒業生です。青木喜美は近藤石蔵の長女です。 伯父 近藤礼三(高8期)は八期会のホームページの管理、運営をしています。 いとこ 青木明子(高33期)主人と同期です。近藤英一(高34期) 以上がわが家の横中・横高卒業生のすべてです。 |
取材後記 |
長谷川美穂先生のお父さん、お母さんとは、テニスを毎週1回必ずプレーする 北久里浜から車ですぐの「さいとう整形外科クリニック」へ伺い、午前の診察が終わるまで待合室で待たせていた |