神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】平井竜一さん(高37期)・吉田雄人さん(高46期)
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(取材日:2015年7月31日)

  
   
本日はお忙しいところ、お越しいただきありがとうございます
両市長と、横高の川口校長を交え、朋友会会長の山田の進行で座談会を進めて参ります。
まずはじめに、両市長さんより、久しぶりの母校訪問の印象と自己紹介をお願いいたします
それでは、先輩の平井竜一逗子市長からお願いいたします
      
プロフィール 平井竜一 逗子市長
  
1966年4月8日 生まれ 49歳
1985年 県立横須賀高校卒業(高37期)
1989年 早稲田大学社会学部社会学科卒業
同年 ㈱ASK PLANNING CENTER 入社
1997 同社 退社
1998 逗子市議会議員 当選・就任
2002 逗子市議会議員 再選(2期目)
2006 逗子市議会議員 再選(3期目)
同年 逗子市議会議員 辞職
同年 逗子市長 当選・就任
2010 逗子市長 再選(2期目)
2014 逗子市長 再選(3期目)
<平井市長>久しぶりに正門を入りまして非常に懐かしい思いをいたしました。高37期の卒業です。本校を卒業して丁度まる30年が経ちました。早稲田を卒業し、就職で大阪に行き、9年間過ごしました。1997年に会社を退社し、1998年に逗子市議会議員になりました。2006年に逗子市長となり、現在3期目でございます。
  
  
次に吉田雄人横須賀市長お願いいたします
  
プロフィール 吉田雄人 横須賀市長
  
1975年12月3日 生まれ 39歳
1994年 県立横須賀高校卒業(高46期)
1999年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
同年 イギリス・ロンドンに短期英語留学(約3ヶ月)
2002 アクアセンチュア株式会社退社(大学院入学
2003 横須賀市議会議員 当選・就任
2006 早稲田大学大学院(地方自治行政)卒業
2007 横須賀市議会議員 再選
2009 横須賀市長 当選・就任
2013 横須賀市長 再選(2期目)
    
    
    
    
 
<吉田市長>私は本当にふざけた弟子でして、正門を入ってまず、吉田庫三先生の銅像を拝見して、お詫びを申し上げてまいりました。と申しますのも、卒業アルバムの写真で一枚ですね、部活の集合写真だったと思うのですが、吉田庫三先生の鼻に指を入れている写真がありまして、それを今フラッシュバックのように思い出してしまいました。ただ、昨年か一昨年前に萩を訪問した折、庫三先生のお墓に手を合わせてお詫びを申し上げてまいりました。
 ともあれ、高校時代は生徒会長もさせて頂き、クラブも七つぐらいかけ持ちし、高校生活は本当に満喫させてもらいました。
  

<川口吉秋校長>2012年4月1日付け人事異動で県立横須賀高等学校第27代校長に着任いたしました川口吉秋と申します。
 さて、2010年度から取り組んでいる「横高アカデミア」をはじめとする本校独自のプログラムは朋友会のご支援・ご協力をいただきながら軌道に乗せることができたことに心から感謝申しあげます。
 「横高アカデミア」は前校長の諏訪部先生が、最先端の研究に携わる総合研究大学院大学と連携して立ち上げられたものですが、30年先の学びをここ=横須賀高校につくろうというのが諏訪部先生の理想でした。
 また、生徒たちの希望を叶えてあげたいと強く願っておられました。大学だけが人生ではないですが、生徒たちの第一希望を叶えさせてあげたいと私も考えますし、学校を計る尺度の一つとして進学率は大きく評価されます。
 実は、私も早稲田出身でして、また諏訪部先生も早稲田出身でして、そのへんの義理堅さが通じたのでしょうか、早稲田、慶応、理科大も含め、進学率が大きく伸びてきました。

  

<吉田横須賀市長>この数字はすごいですね。我々の時はこんなにいないですよ。今まで取り組んできた成果の現れだと思います。

    
  <川口吉秋校長>しかし、これらの成果をあげられたのは、全面的にバックアップしてくれている朋友会があってこそのことと思います。また昨年は、テレビのクイズ番組に横高生が出場し、惜しくも準優勝でしたが、横高は「超進学校」とアナウンサーから紹介され、誇らしくもありました。
    
<山田朋友会会長>朋友会員は今20,770名の会員数を擁します
 具体的な事業として次のようなものがあります。
☆年2回の朋友会報の発行、年1回の総会、年2会の懇親会を開催(参加者毎回120名余)
☆今年の取組は、○「第10回青春かながわ校歌祭」への参加(10月17日秦野市で開催)
 ○「第6回朋友会ゴルフコンペ」(11月10日千葉県で開催)
 ○「仕事ナビ」(10月24日開催)この「仕事ナビ」は、昨年から始めましたが、非常に好評で、学校とPTAと朋友会の三者による、大学生と高校生を対象とした就職支援の会です。ナビゲーターは若手卒業生にお願いしています。今回は、レッドハット株式会社会長の廣川裕司さん(高29期)に基調講演をお願いし、分科会では各分野で活躍する5人の先輩から就活や仕事についてのナビゲーションを受けます。
○「朋友寄席」(9月23日横須賀芸術劇場小ホール)高41期生の三笑亭小夢さんの真打昇進祝いのための文化的事業として開催します。
○母校支援としては、◇100万円の生徒活動支援 ◇全国大会など部活動遠征時の費用支援 ◇毎年の赤本など入試問題集の購入費用
 ◇グランドへの散水機2台設置 もう少し早く設置できておれば、野球部も夏の大会でもう少し上に行けたのではと...。来年に期待しましょう。
   
両市長から市政の現状などをうかがいたいと思います
  

<吉田横須賀市長>人口減少が一番の課題です。平成25年に横須賀市が全国の市における転出超過の数で一番という結果になり、強い危機感を感じました。実際、私の高校クラスメイトを見ても、ほとんどが市外に出てしまっている現状があって、身につまされる思いがあります。やはり、横須賀市民の皆様にはいつまでも横須賀で住み続けたいと思ってもらえるような政策を提案しなければいけないと思っております。しかし、数字をよく分析すると、藤沢市は人口増加が伸びておりますが、市外に出て行く人数は藤沢の方が多いのです。ところが、それ以上に入ってくる人数が藤沢は多い。それに比べ横須賀は入ってくる人数が圧倒的に少なくて、大きな転出超過となりました。
 従って、市外への情報発信を強力に推し進める必要があると思います。方法としては、横須賀を住むまちとしてイメージしてもらい、子育て世代が喜んでもらえるような教育政策を充実させたいと思います。
 住宅政策も重要です。現在かなり空家が増えています。こういったところには大学生に住んでもらうとか、解体費用を援助するとか、空家を流用させていくことを考えたいと思います。中心市街地の活性化ということで、現在大きなビルが2本建っていますが、容積率を緩和したり、高さ制限等、規制緩和も含めて取り組んでいます。都市イメージ発信・教育子育て政策・住宅政策・規制緩和の3本柱で取組をしています。

  
取組の成果はいかがですか。
  
<吉田横須賀市長>平成26年は、転出超過の数が、全国1位から17位にランクダウンしました。人数で言っても平成25年には1,772人だったのが、平成26年には899人まで圧縮することが出来ました。しかし、まだ減っているのは事実なので、更に頑張らないといけないと思っています。
 もう一つ、朋友に絡む話として、都道府県には県人会なるものがありますよね。それに似たような横須賀市人会をつくっていこうということで、今インターネットを通じて「横須賀倶楽部」を立ち上げています。横須賀に縁がある方なら、どなたでも入っていただけるし、商売の宣伝でも、あるいは気楽な連絡網とか、情報発信の基地にしていこうとしています。どうぞ朋友の皆さん、市外に出られた時は、横須賀倶楽部に入っていただき、ふるさと納税なども宜しくお願い致します。
  
  
  両市長
  
逗子市ではいかがですか
  
<平井逗子市長>逗子市にとって最大の課題と考えるのは、「人口減少と少子高齢化を乗り越える持続可能な社会」をいかにして築くかにあると思います。私たちは経済成長や所得の拡大が当たり前だった価値観を大きく転換しなければならない成熟社会に移行しています。
 提案する逗子市の24年後のビジョンと"まちづくり"の戦略を盛り込んだ新総合計画では、これまで以上に魅力ある"まちづくり"を展開することにより、子育て世代を中心とした生産年齢人口層の転入増加を図り、できる限り現状の人口の維持を実現することを目標に掲げています。
  
逗子市独自の取組などはございますか
  
<平井逗子市長>逗子市は独自に日本一厳しい条例を施行し、とにかく安全・安心を確保するということに主眼を置いて海水浴場を開設いたしました。
 様々なご意見がありましたけれども、安全・安心の確保は達成できたというふうに受け止めております。
 一方で、来場者数は半分に減ったため、「逗子海岸ファミリービーチ再生・活性化プロジェクト」のもと、今年、安全・安心を確保しつつ、活性化に向けた取組も官民協働で行っていくということで、様々な検討を進めてきました。復活したファミリービーチをしっかりと維持し、様々な世代が安心して楽しみくつろげる逗子らしいビーチを新たなブランドとして市民と共に築き、逗子の最大の魅力として発展させていきたいと考えています。
 また、私は教育と子育て支援を重点的に進めています。
 というのも逗子市の市税の98%は住民税など市民からいただいている税金で、文字通り、人が逗子市の資源だからです。
 教育については、全学校に少人数指導教員を配置したり、エアコンを設置したり、ソフト・ハード両面でどの市よりも投資しています。子育て支援でも、放課後児童クラブの全校設置や子育て相談の充実など、逗子でもっと子どもを育てやすい環境をつくり、育った子どもがまた逗子で子育てを行うというように、地域に根付いた人材を育てたいと思っています。
 逗子には豊かな自然があります。その中で子どもを育てたいという人がどんどん増えたらいいと思っています。
  
対談中の皆さん
  
<山田朋友会会長>それでは、タイムスリップして頂き、横高時代の懐かしいお話をうかがいたいと思います
 
<饗場HP委員>吉田市長は、部活を七つもよく掛け持ちしていましたね。そんな人いないんじゃないですか。私は陸上一筋でしたよ。
  
<吉田横須賀市長>メインは弓道部ですが、後は囲碁部・文芸部・写真部・グランチ(今あるんですかね。ボランティアのサークルでした)・茶道部・科学部、それと生徒会長をやっていました。
  
吉田市長の卒業写真
  
<平井逗子市長>私は陸上部と応援団もやってました。私の頃は応援団があったんです。私は軽音楽部にも顔を出していました。すると軽音楽部と応援団が繋がっておりまして、当時そういう伝統があったんですね、軽音楽部に入ったら、お前、応援をやれと言われ、夏の甲子園を目指す野球部の応援をやりました。エールとか、坂東武者を歌いましたよ。
  
平井市長の卒業写真 その隣で先生との間にいるのは、「ようこそ同窓生」で18番目の指揮者「上野正博」氏です
  
<吉田横須賀市長>我々の時代はラグビー部が応援団と繋がっていましたね。
  
<平井逗子市長>私が入学するまでは、体育祭を毎年実施していて、文化祭は3年に一度の開催だったそうです。しかし、勉強とのバランスで、体育祭と文化祭が重なった年度や、毎年の実施は過重だということで、私の時は1年生で体育祭、2年生で文化祭、3年生で体育祭というように隔年開催となり、文化祭は1回しかやりませんでした。
  
<吉田横須賀市長>今は、文化祭が随分盛り上がっているなとの印象がありますが。
  
<川口校長>両方とも盛り上がっていますよ。文化祭と体育祭を隔年開催ですが、どちらも1年かけて準備していますから。また、今の世の中は問題解決能力が求められています。大学に入学するのも、自分が3年間どうやって行事などへの取組と両立して勉強を進めていくかにかかっています。
  
<吉田横須賀市長>私の頃は、一番最初の授業で『私の授業には出なくていいから』なんておっしゃる先生がいらして、お言葉に甘えて授業を抜け出して、ちゃんと図書室に行ったり、弓道場に行ったりしていました。あまり授業には出なかったかなあ。もっとも、その先生のお言葉も『自分で勉強をどんどんしなさい』という意味だったのかもしれませんが。
  
<平井逗子市長>湯川先生の音楽の授業は、今でも忘れません。一人ずつ歌わされるんですよ。それが伝統で。
  
<吉田横須賀市長>私は一度ここ=校長室に呼び出されたことがあります。なんで呼び出されたかといいますと、学校の輪転機を借りて、旧海軍にまつわる話を自費出版したのですが、危険分子と思われたのか、『これはなんだね?』というかたちで当時の尾高校長先生に怒られたわけではなかったですが呼び出されました。目立ってましたね。
  
18歳で投票権が与えられましたが、横高でも政治教育的なことは行うのですか。
  
<川口校長>マニフェストを見て勉強し、横須賀の選挙管理委員会から借りてきた投票箱で、模擬投票を行うなど、いわゆるシチズンシップ教育を展開しています。
    
<吉田横須賀市長>その投票結果は公表されるのですか。
  
<川口校長>得票結果などは公表しないということになっています。
  
最後に後輩へメッセージをお願いします。
  
<吉田横須賀市長>もっと上の世代の人の言葉を聞くといいですよ。よく「30代で社長になりました」、「起業しました」、私のように「市長になりました」、というような人が表に出がちですが、彼らでさえまだ途上です。私自身もただただ走り続けているという状況です。ですから、人生をトータルで見て振り返ることのできるご年配の方々の話を聞くべきではないか、と思っているのです。例えば私のことを参考にして、自分もこうやろう、などとはあまり思わないでほしいと思っています。なぜなら私の答えがあっているかどうかは今私にも分からないからです。
 これから年を重ねて、人生を総括できた時に初めて、あの時に走り続けたのは正しかったな、と回顧できると思っています。なので、人生の分かれ道では年と経験を重ねたご年配の方に相談した方が良いと思います。
 差し障りがあるかな?・・・学校は勉強するだけのところではないぞ。私は学校であまり勉強しなかったぞ。だけど大丈夫だ。
  
<平井逗子市長>まず、「一歩踏み出せ!」ということ。私が学生時代に池子米軍家族住宅建設を巡る問題に関わっていなかったら、今の自分はないと思います。あの時、一歩を踏み出したことで、人生が大きく動き出しました。人生、いつ、どんなきっかけがあるかわかりません。その瞬間を逃さずに、勇気を持って挑戦することが大切です。そして、政治の現場は若い人達が思っている以上に開かれていて、また楽しいところです。
 逗子市でも第一運動公園再整備計画策定で中高生委員会を作ったり、3月に行われる子どもフェスティバルに大学生がボランティアで参加したり、参加の方法は様々あります。そのチャンスを活かすのは自分次第なのです。私自身も大学時代にオトナに交じって逗子市環境管理計画策定委員会に入り、市役所に通っていました。一見すると若者からは政治が遠く手の届かないものに見えるかもしれません。
 しかし、私自身も若い方と一緒に取り組むのが楽しいですし、勇気を持って飛び込めば、必ずや多くの人との出会いと貴重な経験が得られるはずです。
 だから最後に、Join us!! Welcome!!とお伝えしたいのです!
  
<山田朋友会会長>今日は、どうもありがとうございました。生き生きと市長という激務を遂行している姿に接し、頼もしく感じ、後輩たちに大きな刺激を与えることと思います。お二人の益々のご活躍と横須賀高校の発展を祈念しております。
  
   
  
神山HP委員(高15期)/饗場HP委員(高10期)/山田朋友会会長/吉田横須賀市長/平井逗子市長/川口横高校長
   
取材後記
平井竜一逗子市長、吉田雄人横須賀市長には、公務多忙の中、日程を調整していただき、朋友会ホームページの企画した座談会に、ご出席下さいまして、大変有難うございました。川口吉秋横須賀高校長、山田茂雄朋友会長にも、ご参加いただき有難うございました。
皆様のご協力により、素晴らしい座談会を開催することが出来ました。感謝!!の一言です。
我々の大先輩に、故久野隆作(高7期・陸上部OB)三浦市長がおりました。昭和38年から54年まで、市議会議員を4期16年間勤められ、昭和60年に三浦市長に初当選され、平成13年まで4期16年間、三浦市長を勤められた大先輩のことを追記しておきます。
最後に、平井竜一逗子市長、吉田雄人横須賀市長の益々のご活躍を祈念しております。

饗場元二(高10期・ホームページ委員・陸上部OB)
   

今回は、ICレコーダーの不調というアクシデントに見舞われ、一時はどうなるかと思いましたが、岡花先生という救い手に引き上げられ、ここまでに漕ぎ着けることが出来ました。岡花先生、関係者の皆様に感謝です。短い時間でしたが、お二人の自己主張の強さ、また、筋が一本通っているなと感じました。自分のやりたいことが見えていて、それを実現させるスタッフを見出してくる、これが行政の長なのかなと思いました。まだお若いおふたりです。益々のご活躍を期待しております。ありがとうございました。
(高15期神山道也)

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