神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】高地 光雄 さん(中33期)
ホーム   >  会員のひろば  >   会員の紹介  >  【紹介】高地 光雄 さん(中33期)
(取材日:2014年11月24日)

  

プロフィール
昭和2年8月

神奈川県公郷町字堀内に生まれる(現横須賀市三春町5丁目)

昭和9年3月 横須賀市立山崎小学校入学
昭和15年3月 神奈川県立横須賀中学校入学
昭和19年10月~20年8月 海軍経理学校
昭和20年9月 横浜高商〈現横浜国立大学経済学部〉2年生に編入学
昭和22年3月 横浜高商を卒業
昭和22年~24年7月 日本興産株式会社 勤務
昭和25年2月~32年7月 東洋経済新報社 勤務
昭和29年4月 兄が残したピンク洋装店を引き継ぐ
昭和32年7月 横須賀青年会議所 入会
昭和33年1月 株式会社ピンク洋装店社長に就任
昭和34年11月 大滝町に三笠ビル完成(ビル建設事業の主要メンバーとして活躍)
昭和36年8月 横須賀ロータリークラブ会員になり現在に至る(最年長会員)
昭和38年1月 横須賀青年会議所 第11代理事長
昭和42年1月 日本青年会議所 副会頭
昭和43年~平成10年 横須賀簡易裁判所の民事調停委員を務める〈30年間
昭和44年7月 湘南女子高等学校 理事に就任
昭和45年9月 サン・データセンターを設立する (以来44年間コンピュータ事業に関わる)
昭和48年~55年 諏訪小学校PTA会長を務める(7年間)
昭和53年~57年 郷土資料の復刻事業に取り組む
昭和56年 横須賀市社会教育委員(1期〉
昭和56年~57年 常盤中学校PTA会長を務める〈2年間〉
昭和59年 横須賀コンピューター協会を設立する
昭和60年~平成3年 大滝町会 第15代会長に就任(3期6年間務め、現在も顧問として町の世話役を務めている)
昭和62年11月 鉄筋3階建て「新大滝会館」を建設する
平成元年2月24日 昭和天皇の「大喪の礼」に参列する
平成9年4月 YRP情報産業協同組合を設立する
平成10年6月 諏訪大神社 氏子総代会の会長に選ばれ現在に至る
平成10年 公郷町・曹源寺檀家総代に選ばれ現在に至る
平成10年~平成15年 横須賀簡易裁判所の委託を受けて司法委員を務める(5年間)
平成11年2月 湘南女子高等学校 第4代理事長に就任 現在に至る
平成12年4月 湘南女子高等学校を男女共学の湘南学院高等学校と改称して、再出発させ現在に至る
平成16年4月 佐原に湘南学院高等学校の総合グランドを新設する
平成25年4月 佐原に湘南学院高等学校の新校舎を建設し、移転する
 

叙位叙勲

昭和63年 藍綬褒章を受章
平成9年 勲五等瑞宝章を叙勲
 
お仕事について
 

現在のお仕事をお聞かせください。

株式会社「ピンク洋装店」代表取締役社長と学校法人「湘南学院高等学校」理事長をしております。

「ピンク洋装店」
 
ピンク洋装店(現在)
横須賀市内にピンク洋装店をオープン〈昭和25年〉した兄が、開店4年後に急死したため、私が店を引き継ぐことになりました。
当時、私は東洋経済新報社に勤務しており、その傍ら店舗経営に携わるという二足の草鞋生活が4年間続きました。
 その後、昭和32年7月に東洋経済新報社を退社して店に専念することになりました。
昭和33年1月に代表取締役社長に就任し現在に至っております。

現在のピンク洋装店は、中高年向けの既製服の販売、ダンスドレスの販売、オーダーメイドと生地の販売という三本柱で営業を行っております。
店舗は三階建てで、一階が既製服売り場、二階がオーダーメイドと生地売り場およびダンスドレス売り場、そして三階が洋裁師の作業場になっております。
ピンク洋装店は、今年で64周年を迎えます。

 
「湘南学院高等学校」
 

私が、湘南女子高等学校(現湘南学院高等学校)に関わったのは、昭和44年7月に当時の理事長より、理事を頼まれてからです。
理事に就任して5年目くらいから、女子高校では経営が成り立たないと考えるようになり、男女共学への移行を検討する委員会を作りました。私が委員長になり、男女共学に移行すべしという答申書をまとめ、理事長に提出しました。だが答申書はお蔵入りになってしまいました。

平成11年2月第4代理事長に就任した、私は、解決すべき第一の大仕事として委員会で答申した男女共学への移行を、理事会、教職員に提案しました。
校長以下学校の執行部は賛成でしたが、創立以来の女子高の歴史を否定するようなこの提案には、教職員の半数と同窓会(若紫会)が反対でした。
私は、反対論を唱える人達に対して学校存続のため止むを得ない措置であると誠意を持って説得して賛同者を増やしました。

理事長就任の翌平成12年4月「湘南女子高等学校」を男女共学の「湘南学院高等学校」と改称して再出発させました。
男女共学への移行は大成功でした。応募者が年々増え、しかも質の高い生徒達が入学してきました。
大学進学率も年々向上、国公立や名の通った大学への進学者も増えました。
このように男女共学化により「湘南学院高等学校」の社会的イメージは大幅にアップしました。

湘南学院高等学校・新校舎

私の第二の大仕事は、佐原に約2万坪の土地を取得し、横浜球場に匹敵する野球場を初め、全面人工芝のサッカー場、両翼60メートルのソフトボール場、250メートルのトラックを持つ陸上競技場、弓道場からクラブハウスまで完備した素晴らしい総合グランドです。
2年余りの歳月をかけ、平成16年4月に、この総合グランドは完成しました。
日の出町校舎から、生徒達は2台のバスをフルに利用し、スポーツの盛んな高校の一つになりました。

私の第三の大仕事は、新校舎の建設と移転です。
紆余曲折はありましたが、「日の出町校地」も予定通り売却でき、設計図も出来上がり、一年余の期間を経て、佐原の2万坪の総合グランドに建坪5千坪の新校舎を建設し、平成25年4月に移転を完了しました。
新校舎開校式典を平成25年4月12日に挙行し、佐原新校舎での新たなスタートが始まりました。
その後、「湘南学院創立80周年記念誌」「飛翔、湘南学院80年の歩み」も発行することが出来ました。

私が、第4代理事長になりこの三つの大仕事が出来たのも、理事会、教職員、PTA、同窓会(若紫会)、後援者、工事関係者、並びに地域社会の皆様のおかげだと大変感謝しております。

 
 
横中時代について
 

横中時代はどんな生徒でしたか?
海軍経理学校入学一週間前に親しき友と<左端が本人>

横中に入学してから、私はよく勉強をしました。数学が大好きで成績も良かったと思います。学校の授業では物足りず、参考書、問題集を使って微分、積分を自分で勉強し物にしました。
三年生では級長に選ばれ桜の記章を付けて通学、戦争が色濃くなる中、充実した中学生活を送っていました。

二年生の時に、先輩に勧められて水泳部に入部しました。当時は、今のような立派なプールは無く、馬堀海岸まで30分歩いて、練習に行きました。
四年生の時に、水泳部の主将に選ばれました。主将になった私は、水泳部員に得意の数学を教えました。部員達を階段教室に集め、教科書をもとに約1時間数学の勉強を指導しました。その後、30分歩いて馬堀海岸まで行き暗くなるまで水泳の練習をしました。部活動で練習以外の数学を教えたということは、横中水泳部時代の私のよき思い出です。

横泳会「横中、横高水泳部OB会」を作る
 

昭和29年7月に、水泳部の後輩(石渡君・故人)が中心になり、私が応援をして横泳会を作りました。横泳会の社会貢献事業として、昭和31年のメルボルンオリンピックで活躍した日大水泳部の選手を横須賀に招き水泳講習会を開きたいと、私に相談がありました。私は「ピンク洋装店」の一角を事務局として提供し、石渡君たちはお店を根城に計画の実現に取り組みました。

この計画は「三浦半島の子供達に大きな夢を!」のキャッチフレーズで、メルボルンオリンピックで、メダルを勝ち取った古川(金メダル)石本(銀メダル)吉村(銀メダル)の三選手を初め日大水泳部の有力選手十名を招き、メルボルン代表選手が合宿した大津観光ホテルのプールに、中学、高校生を集めて、水泳講習会を開こうという豪華なものでした。いろいろ苦労はありましたが、昭和32年4月、水泳講習会は、中学、高校の水泳部員などを集めて、盛大に行われ、当時、大きな話題となりました。
横泳会は、現在も横中、横高の水泳部OB会として活動しております。

 
 
民事調停委員を30年間務める
 

私は、昭和43年1月満40歳のとき、横須賀簡易裁判所から要請があり民事調停委員を務めることになりました。毎週2日、田戸台の横須賀簡易裁判所に通って、大小の民事調停に取り組みました。
平成10年に70歳の任期を終えて退任するまで、関わった調停は約800件にのぼりました。

「民事調停がうまくいくかどうかは、当事者がお互いに少しずつ譲り合う互譲の精神が実現するかどうかに掛かっている」と思っております。
お互いが自分の利益だけを主張していては、問題は解決しません。少しずつ譲歩する妥協点を示して合意に持っていくことが調停委員の役割であり、腕の見せ所です。
「お互いに多少の不満を残して解決するのが一番いい調停」だと思いつつ、調停委員を30年間も務めてきました。
最後の10年間は民事調停協会の会長も務めました。その後引き続き横須賀簡易裁判所から委託を受けて、司法委員を5年間務めました。

横須賀簡易裁判所とのお付き合いはなんと35年間になりました。
長年の民事調停への貢献に対して、昭和63年に藍綬褒章を受章し、さらに平成9年には勳五等瑞宝章の叙勲を受けました。

私にとって一番良かったことは、人の話を聴くとき、相手の立場に立ってじっくり聴く習慣がついたことです。この35年間は、私にとって大変よい人生経験になりました。

 
 
コンピューター事業に44年間関わる
 

私が、コンピューターと関わったのは昭和45年9月に「サン・データセンター」を設立してからです。当時のコンピューターは、データーを直接入力するのではなく、まずデーターをキーパンチャーが穿孔機でカードに入力して処理する二段構えで情報処理を行っていました。

サン・データセンターは、昭和57年9月に、当時最新型だったIBMの4331K11型を購入しました。これまでの単純なキーパンチ業務と異なり、ソフト開発やコンピューター操作のためには、知識、経験を積んだプログラマーが必要となります。IBMにプログラマーを紹介してもらい、四人のプログラマーを採用し、サン・データセンターの機械、人材の体制が整いました。

その後、サン・データセンターは、公共性の強いコンピューター事業会社として、地域に根をおろし、堅実な経営を現在も続けております。私は、現在も相談役としてサン・データセンターの成長を見守っております。

サン・データセンターが、最新型コンピューターを導入した頃、横須賀でもコンピューターを導入する企業が徐々に増えてきましたが、プログラマー不足が問題になっていました。その解決のために、昭和59年「横須賀コンピュータ協会」を設立し、プログラマーの確保を図りました。同協会は今日も存続しております。

最後に関わったのが、平成9年4月の「YRP情報産業協同組合」の設立でした。YRP「横須賀リサーチパーク」は、京急YRP野比駅から入った山間部に、最先端の情報通信産業の研究開発機関が約70集まる世界的に注目されるリサーチパークです。

YRP開発の動きを注目していた、私は次々と進出してくる大手情報研究施設のコンピューター関係の仕事を、地元の小さな会社が個々に取りに行っても恐らく相手にされないと思いました。そこで、サン・データセンターも含め、12社の地元のコンピューター関連会社が計2000万円を出資して、平成9年4月「YRP情報産業協同組合」を設立し、私が初代理事長に就任いたしました。その後協同組合は、お蔭様でYRPのコンピューター関連の仕事を協同受注することが出来るようになりました。

 
 
大先輩から横高生へ一言
 

当たり前のことですが、まず予習をしなさい。特に数学は予習が大切です。
理数系を目指す生徒は、まず数学を勉強しなさい。そこから道が開けてきます。

体育系の部活の生徒は、まず基礎練習が第一です。
基礎練習をしっかりやれば、そこから道が開けてきます。予習と基礎練習、これが私からの一言です。

未来ある横高生、自分で道を開いてください。頑張りましょう。

  
 
湘南学院高等学校を訪問する
 

高地理事長より、佐原の新校舎、総合グランドを見に来ないかとお招きをいただき、平成26年11月21日(金)にホームページ委員の饗場元二・石渡明美と朋友会副会長(親睦担当)中島公雄の3人で湘南学院を訪問しました。

私たちが、まず驚いたことは校舎に入る時に上履無しで、土足のまま入れることです。生徒も来校者もすべて、校舎内に入る時は土足のままです。この試みは、県内の学校では初めてだそうです。

理事長室に案内され、高地理事長、長瀬学院長(高10期)宇佐神校長、清水事務長とお会いしました。
長瀬学院長から、校舎建設、移転計画は大変な苦労を伴いましたが、高地理事長のリーダーシップの下、理事会および教職員など関係者一同のお陰で、完了することが出来ましたとの話があり、生徒数約1600名、40クラス、教職員数約120名等、湘南学院の現況を話されました。

懇談の中で、高地理事長の健康の秘訣をお聞きしたところ、私は「ピンク洋装店」では、いつも女性のお客様と接していますし、「湘南学院」では10代の生徒達と接し、パワーをもらっているとの事でした。酒は飲まず、タバコは吸わず、夜は10時には就寝し、朝は6時に起床し、毎朝、木刀で100回素振りをします。
毎日規則正しい生活を送ることが、私の健康の秘訣ですと言っておられました。

広々としたグランド

その後、長瀬学院長に学校内を案内していただきました。

4階建ての校舎には、クラスルーム棟、特別教室棟、アリーナ棟があります。クラスルーム棟には、図書館、自習室、コミニケーションスペースがあり特別教室棟には、オール電化の調理室、PC室、理科室、書道室、音楽室、多目的教室や、和室の間など素晴らしい施設を見せていただきました。

その後、横浜スタジアム2.5個分の総合グランドを拝見しました。

理事長室に戻り、理事長の写真撮影、理事長を囲んでの集合写真の撮影などをさせていただき、学校をおいとま致しました。

湘南学院を訪問して、感じたことは、素晴らしい教育環境の中で勉学に、部活に励む、湘南学院の生徒達は、大変恵まれているとすごく思いました。

 
取材後記

前列左から 石渡・高地さん・饗場
後列左から 長瀬学院長(高10期)・中島

87歳という年齢を感じさせない高地大先輩は、ピンク洋装店を経営しながらいろいろなお仕事をこなされ、敬服いたしております。民事調停委員を30年、コンピューター事業に44年間も関わり、その他プロフィールに載っていることをこなされ、まさにスーパーマンですね。
湘南学院を、女子高から男女共学にして、佐原に総合グランドを作り、新校舎を建設、移転させた、この三つ大仕事にはすごく感動しております。
高地大先輩の、今後のご健康と益々のご活躍をお祈りいたしております。

(高10期・饗場元二)

ピンク洋装店の高地さんのお名前は隣の祖母から何度も聞いておりました。
朋友会の事務のお手伝いをするようになり、懇親会などで何度もお目にかかりましたが、お話ししたことはございませんでした。
皆様から、ずっと地元でご活躍なさっていらっしゃる素晴らしい先輩だとお聞きしておりましたので、ぜひ、取材させていただきたいと提案し、参加させていただくことになりました。饗場さんの原稿を読み、実際にお話を伺って、想像をはるかに越えるご活躍に驚いております。
発想の素晴らしさ、的確な判断力、実行力に「坂東武者」の精神を見た気が致します。
そして人を大切にする優しいお人柄こそが、人を動かし、たくさんの功績を残されたのだと感じました。

(高23期 石渡 明美)

ページの上に戻る