神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】高沢 朝美 さん(高23期)
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(取材日:2014年1月18日)

プロフィール
1968年 横須賀学院中学校卒業
1971年 県立横須賀高校卒業
1975年 東京ヒルトンホテル入社
1976年 青山学院大学文学部卒業
1978年 ロンドンヒルトンホテル
1984年 東京ヒルトンインターナショナル入社
1986年 全日空エンタプライズ(株)入社
1991年 鹿島ホテルエンタプライズ入社
1996年 パンパシフィックホテル横浜入社
1999年 ディズニーアンバサダーホテル入社
2002年 ディズニーアンバサダーホテル 総支配人
2006年 オークウッドアパートメンツ新宿/四谷 総支配人
2007年 IHG・ANA・ホテルズグループジャパン入社
2008年 ANAクラウンプラザホテル広島 総支配人
2011年 ANAクラウンプラザホテル大阪 総支配人
2013年 ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル 総支配人
 
 
ホテルの仕事をしようと思ったのはいつ頃からでしょうか?

 大学で教職を取っていました。就職に迷った時に学校の先生になれるかなという考えもあったのですが、卒業して22歳ですぐに教壇に立って、人生経験がないのに学生達に教える立場になるのもどうかなという気がして、もう少しいろいろな経験をしてから、と思いました。そこで、たまたま知り合いも居たので、旅行代理店を受けてみました。そうしたら、その方に「あなたはホテルのほうが向いている」と言われまして、そのままホテルの方を紹介していただいて、「今からすぐ行ってきなさい」ということになりました。それまではホテルで働くという気はまったくありませんでした。私は海外を回れて経験を積めれば良いと思っていたのですが、旅行代理店での仕事はあちこちを回るので、それはそれでおもしろいのでしょうが、一つの都市に長く滞在できるホテル業のほうが良い、そのようなお考えで、その方は勧めてくださったのかもしれません。そこでご紹介いただいたのがヒルトンホテルでした。
 その頃は海外で働くために、特にアジアから出るとなると労働許可を取るのが大変で、3年間の実働経験がないと許可が出ませんでした。そこで3年間はホテルの中でいろいろな部署を経験させていただき、3年目の3月にイギリスでの労働許可がおり、ロンドンのヒルトンホテルへ転勤となりました。ロンドンには2年間居たのですが、この頃からホテルで働く事がおもしろくなってきました。大学の時は英語科の教員免許をとろうと思って、それなりに一生懸命やりましたが、海外に出たことで全く違う経験をしました。最初の3年のうちは、またやりたいことを考え直そうみたいに思っていたのですが、4年も経つと接客がおもしろくなってきました。自分ではそういうものが向いているとはまったく思わなかったのですが、やはり向き不向きはありますけれど、それが苦にならない人にとっては、毎日が新しい事の連続なので楽しいですね。まあ普通の会社で働いたことがないので分かりませんが、出勤して同じところに座って毎日同じ仕事をするのではなく、予想がつかないことばかり起きるので、毎日が新鮮です。

ホテルではどのようなお仕事をされてきたのですか?

☆まずはロンドン
 
ロンドンでの2年間は、ずっとフロントにいました。ちょうどジャルパックのツアーがヨーロッパに行き始めたころで、実は最初に受けた旅行代理店はジャルパックなのですが、どのホテルも日本語のできるスタッフが必要だったんです。ですから、その頃は日本人スタッフというのはヨーロッパでいろいろとチャンスがあったと思います。

☆次に東京に戻り
 
その後にまた東京のヒルトンに戻りました。そして、ちょうど永田町のヒルトンホテル(いまのキャピトル東急)の契約が終わって、新宿にヒルトンホテルを新しく建てるという時期で、そこで初めてホテルの開業というのを経験して、これがまたおもしろいんです。なにもないところから作って、人を集めて、教育をしてと、たいへんなんですが、開業した時の達成感や連帯感が大きいですね。ヒルトンに居る間に、ソウルヒルトンの開業も経験し、その後溜池に開業予定だった全日空ホテルからお誘いを受けました。

☆日系企業での経験~ディズニーも
 そろそろ外資系ホテルを辞めて日本の会社を経験したかったので全日空ホテルズに入り、東京を開業した後、グアムと、オーストラリア、これはゴールドコーストにあったほかのホテルをリブランドする仕事でしたが、いくつかの開業を経験しました。その後東京の江東区にある鹿島建設のイースト21の開業を手伝い、横浜のパンパシフィックホテル(今のベイホテル東急)を開業してから、その後にディズニーホテルの開業に携わりました。今では3つのディズニーホテルが建っていますが、それぞれの図面の作成から立会い、年齢的にもサービス導線の部分や、フロントのレイアウトだとかに口を挟める立場になっていました。最初に開業したディズニーアンバサダーホテルで総支配人になり、5年間勤めた後、また外資系に戻りました。

☆日系と外資系を比べると
 人それぞれですが、私にとっては外資の方がはるかに働きやすいですね。相手がどんな立場でもストレートにものが言えるし、聞いてくれる。コミュニケーションが非常に楽なんです。日本の会社ではやはり気を使います。ディズニーの後にオークウッドのアパートメントを2軒開業してその後に、それまで全日空ホテルだったところをインターコンチネンタル・グループのブランドに変える仕事の依頼があり、一番北は千歳、南は沖縄の那覇まで6軒のホテルを1年間掛けて外資系ホテルに変えていきました。その作業が終わるとしばらくは仕事がなくなったので、6軒の中のどこでも総支配人の仕事をやっていいよと言われて、関東圏は成田だったのですが、成田では通える距離ではないので、それなら地方に一度行ってみようと思い、広島に赴任しました。その後広島、大阪のホテルを経験して、横浜には去年の四月に着任しました。

ひと言で言うと総支配人の仕事とは?

  C:\Users\okahana\Pictures\03056.jpgまあ、社内の調整役でしょうね。仕事の内容からぶつかり合う部署がありますので、常にゲストと、働くスタッフの立場に立って調整をしています。両方の話を聞いてあげなければいけませんし、我慢すべきところは我慢してもらいます。でも双方の話を聞かないと判断は出来ませんので、お客様からも、スタッフからも出来るだけ話を聞きます。ホテル内を歩き回るのが仕事ですね。1日10キロくらいは歩いています。
  <オフィスにて>
 
横高時代の思い出
想い出に残っている場所・出来事がありましたら教えて下さい。
 やはりロンドンです。若い頃に行って結構苦労もしましたし、今となっては、ロンドンでの経験があったので、そのあとのどんなつらい事でも笑って過ごせます。25か26歳くらいで行ったので給料も安いですし。最初の頃は、行ってすぐに自分で部屋を探すのは大変なので、ホテルで用意している、こちらで言ったら寮みたいな所に入ったのですが、向こうではシェアするのが当然なんです。一番最初にシェアした相手がドイツ人のコックさんだったのですが、まったく英語のできない人でした。3ヶ月くらい一緒に暮らしたのですが、一言も話ができない。これは気まずいですよね。向こうもそうでしょうけれど、それはそれは特別な緊迫感というか、習慣も違いますし、食べ物も違う。あの毎日に比べればたいがいのことは笑って過ごせますね。
 C:\Users\okahana\Pictures\0002.jpg海外では休みはたくさんあるので、最低でも2週間は続けて休めます。日本にいるとなかなかそういう感覚になれないのですが、7月くらいから休みのためのスケジュールをみんなで作っていました。2回夏休みがありましたから、ヨーロッパの国をほとんど回れました。

 フロントに居ましたので、対面での英語には苦労しないのですが、電話での応対は大変でした。たとえば、アイルランドの方からの電話であったり、スコットランド訛りの方とか、それは苦労します。これは2年の間にずいぶん鍛えられたと思います。日本の英会話の学校やもちろん大学の授業でも、そんなところまで経験できませんから。かなり違いますよ。フロントに立っていると、ゲストが名札を見て、あっ、こいつは母国語が英語じゃないなと分かると、ゆっくり話してくれたりするのですが、電話ではそれがありません。「ロンドンヒルトンのフロントです」って出た時に、日本人が出ているとは向こうも思わないから、もうダーっとしゃべってくる。かなり苦労しました。

 

国際的な窓口でもある横浜で総支配人という役職につかれて重視していることは?

 横浜だからということではなくて、パシフィコという国際会議場に隣接しているので、他のホテルとは違う要望がありますね。会議場に全部人が入って、たとえば、お昼を出してくださいと言う事になると、四千とか五千人のランチを同時に提供します。ホテル側の一般営業をしながら、それだけのランチを出すというのは大変な作業で、それを求められているし、それが出来ないと隣接ホテルの意味が無い。今までに無い経験ですね。私が4月に着任してすぐ6月に、パシフィコでアフリカ会議というのがありまして、その時には私どものホテルにアフリカからの大統領が29人泊まっていて、その上、安倍首相の宿泊もありました。30人もの首席が一つのホテルに泊まっているのはとても珍しい事です。外国からのVIPは、車を降りたらすぐに握手をして、話をしながらエレベーターまで案内してといった感じで、向こうも慣れていますが、日本の首脳の場合はエレベーターにまっしぐらと言った場合が多いですね。警察もピリピリしていますので、なるべくSPの人たちが働きやすいように、あまり近寄り過ぎないようにします。

 

ホテルについてうかがいます。

 ホテルの忙しい時期は、夏休みなど、皆さんがお休みを取る期間です。それから年末年始。昔はクリスマスイブも忙しかったのですが、今はクリスマスも大みそかも一時期のように予約がパンパンでとれないという状況ではないです。ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルのお薦めは中国料理です。どこもレストランはおいしいのですが、中国料理は31階にあって景色も良いので大変評判が良いです。
 宴会場は人数によって、大きな部屋から小ぶりなものまでありますし、30階にいくつか景色の良いお部屋があります。まあ25人くらいまででしょうか、とても景色が良いのでクラス会などに好評です。他のホテルに泊まることはよくあるのですが、旅行というよりは仕事で行くことが多いですけど、困るのは、ロビーに立っていると、お客様に「トイレはどこですか」と必ず聞かれますね。立ち方から何から、ホテルマンにしか見えないのでしょうね。一番びっくりしたのは結婚式で仲人を頼まれていて、それなりの格好をして、隣に紋付を着た奥さんが並んでいるにもかかわらず、「トイレどこですか」って聞かれた時です。さすがにその時は「ホテルの方に聞いてください」と言いました。まあ、たいした悩みじゃありませんけど。あとはサービスだとか施設だとか、英語のサインとかは、どうしても気になります。いろいろと気になることは見えてしまいます。

☆英語は絶対必要
 ホテルマンとして成功するには、これからは特に英語は必要です。英語を話せると、働く世界と機会が広がります。あとはいろんな職種がありますから、なんでもできる必要はないですが、何かひとつこれに強い、というものがあると採用はされやすいです。たとえば、食品衛生に関することでも良いですし、経理の勉強をしてきていて、英語でバランスシートが読めますとか、そういうものがあるとこの業界では重宝されます。バランスシートを読める人はいくらでもいますが、日本語でも英語でも読めますっていう人はそうなかなか居ませんから、そういう目の付け方があると、ホテルに入ってからのチャンスは広がりますね。接客は向き不向きがありますので、接客業だけがホテルの仕事ではないから、いろんな職種に就くチャンスはありますが、やはり気配りができている人の方が、ホテルに限らずサービス業には向いていると思います。
 特に外資系の場合は、上司にでも何でも、うるさいくらいアピールしていかないと、ずっと同じ仕事をさせられます。日本の会社のように、この人は経理で採ったけれども、次はこちらで勉強させて将来はここまで教育してあげようなんて誰も思ってくれません。自分で自分のキャリアパスを考えて、それに合わせて必要な知識や経験を体得し、機会がある度にアピールしていかないと、自分の希望する将来は来ません。そういう会社の方が日本でもこれから増えてくると思います。ですからアピールできるものを何か持たなければいけないし、それをアピールする方法も覚えなければいけません。
高校時代についてうかがいます。
  C:\Users\okahana\Pictures\201401271334.jpg  高校時代っておもしろかったですね。男子クラスっておもしろいですよ。何かやるときもやらないときも決断が速いですし。当時は一学年400人いて女子は80人くらいしか居なかったですよね。私は朝美という名なので、最初にクラス発表があったとき、6組高沢朝美という名を見て、自分のクラスに女子がいるって、ほかのみんなが大喜びしていたのを覚えています。


  <前列右から3人目は担任の森先生、その隣は学年主任の堀江先生。その後ろ2列目の左から3人目が高沢さん>
    
 

バスケットボール部に所属していて、練習は大変でしたが、その時の仲間とはよく会います。一緒に苦労した仲間は、社会人になってからはできないので貴重ですね。
 私はミッションスクールの横須賀学院で小学校中学校を過ごしたので、毎朝礼拝があり、校則も厳しかったのに、そこから横高へ行ったら、まるで天国です。朝もなんとなくタラーっと始まって、それまでとのギャップがすごかった。だから最初は物足りなく思いましたが、それはもう最初の1・2ヶ月くらいのことで、慣れるとこれはよかったなあと。楽だったですねえ。お弁当をいつ食べても構わないし、何をしても怒られたことがないですよね。あれでバスケットボール部に入っていなかったら、だらけた人生になっていましたね。

C:\Users\okahana\Pictures\IMGbb.jpg
 
趣味について
 音楽は好きです。下手ながらギターを弾きます。あちこちでバンドを作りました。ホテルは暮れか正月明けに従業員パーティーを開催するので、そこに無理やり出て演奏しています。我々の頃はベンチャーズの時代ですから、その頃ちょうど中学生で、まったくギターを弾けないのに、親にエレキギターを買ってもらって、それで弾けないまま終わっていたのですが、仕事を替わる時に2か月くらい間があいたことがあって余裕も出てきたので、ギター教室に通って、それでちょっといいギターを買いました。ギター教室で思ったのは、会社では人にいろいろ言わなきゃならない立場ですが、週に一回教室に行って、若い先生から、ここをああしろこうしろと言われるのが、結構気持ちがいいんですよ。怒られながら汗びっしょりになって、一所懸命に練習することが。
 一番最初に聞いた洋楽はエルビス・プレスリーですが、高校生時代に好きだったのは、黒人のソウルの方ですけど、アレサ・フランクリンです。その頃ってレコードに歌詞カードが付いていて、それを一所懸命辞書で調べて、どういう意味なのか分かりたいという思いが、語学素養に大きな影響はあると思います。まったく音痴なので歌えませんが、人前で演奏するというのは病みつきになりますね。最初に始めたのはディズニーホテルの頃に、音楽の好きな人がけっこう居て、親父バンドを作りました。
 でも歌のうまい人がなかなかいないんです。それで結婚式の時に賛美歌を歌う、外部の聖歌隊の中の一人に、ちゃんと音楽大学を出てそういう道に進もうとしている人に、ちょっとロックを一緒にやろうと、仲間に入れて歌ってもらいました。そっちの方に進むべき人に、ずいぶんひどい事をしたかなあと思いますけど、いい勉強にもなったと思ってもらえたと勝手に信じていますが。
 高校時代の友達や幼なじみも居るので、二、三か月に一回は横須賀まで行きます。どういうわけか、その頃の友達って、みんな音楽が好きで、それも歌謡曲ではなくて、洋楽好きが多いですね。
 あとは、趣味でパンも作ります。これは単身赴任している時に、料理はそう簡単にできないし、せっかく覚えても家に帰ったら奥さんがやるので、奥さんがやってないことをというので始めました。といってもパンをつくる器械を買ってきて、粉を自分で調合するだけですが、それでもいろいろ味が変わるので、けっこうおいしいパンが焼けるようになりました。家族にも評判はいいです。
 
 

在校生へのメッセージをお願いいたします。

 リーダーシップというのはなかなか目に見えないもので、しかも外資系の場合はその人の人生において大きな要素でありながら、それぞれの資質によって出方が違います。正しいリーダーシップの形というものはなくて、大声で怒鳴るリーダーシップの人もいれば、じっくり話を聞くという人もいる。だから、自分に合ったリーダーシップがどういうものか、たくさんのリーダーの方たちから学ぶ訓練を若いうちからしたほうが良いですね。なかなかカリスマ性があって、言ったら「はい」って皆が動くようなリーダーって、もちろん居るのですが、全員がそうなれるわけではありません。必ず自分に合ったリーダーシップの形があると思うので、それがどういうスタイルのものであるかを、若いうちから気を付けて少しずつ学んでいくことができると良いと思います。横高は個性の強い人が多いので、あの年代ではまだ、勉強のできるやつとか体の大きなやつとか、それから話の上手なやつとか、そういう人たちがリーダーシップをとる場合が多いんですけど、社会に出ると、そうではなくて、的確な判断ができるとか、それを一番有効なチャンネルで発信できる人とか、いろんな要素があるので、それを複合的に自分の身に付けた人が組織の中では人を引っ張る立場になれるのかなと思います。

☆たくさんの経験を
 外資系にいて感じるのは、たぶん日本の社会というのは、こういう人はこうあるべきというパターンにするのが好きなのか、それとも分かりやすいのか、でも、外国人は十人集まったら十人全部違うので、同じように全然できないんです。それはもう人種も違えば宗教も違い、食べるものも違うので、それぞれが自分のことをアピールするのと同時に相手のこともここまでは許してあげるという許容力がある。まあ間違いなく日本もそういう方向へ進んでいくと思いますから、あまり型に当てはめて自分を小さくしない方が良いです。
 外資系のリーダーはいろいろな国から来ています。我々にない斬新な発想や、違ったものの捕らえ方をするので、一緒に働くと勉強になりますよ。まだまだ日本人は型通りの組織や業務が心地良かったり、その一部になる事に安心したりしていますが、これは今変えないと日本の会社のリーダーのほとんどを外国人に取られてしまいます。パターンや、やり方にこだわらずに、自由な発想で組織を引っ張れる人が必要です。自分を型にはめずに、たくさんの経験をしてもらいたいですね。
               
           
取材後記

                 

C:\Users\okahana\Pictures\03062.jpg  6組の幹事の尾崎様からの情報で取材をお願いしたところ「いつでも大歓迎致します」とのうれしいお返事をいただきました。旅行のほかにも結婚式や朋友会総会、新年懇親会などでお世話になっているホテルの仕事について、あらためて違った面から見る良い機会になりました。お忙しい中たくさんの貴重なお話とたくさんのお心遣いありがとうございました。石渡(高23期)

 高沢さんと同期でいらっしゃる石渡さんとご一緒にヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルを訪れました。高沢さんから伺ったお話をまとめていく中で、日本の企業と外資系の企業の違いなどは非常に興味深く、最後の横高生へのメッセージを含め、これからの日本を担っていく者に対して多くの示唆をいただいた気がします。キャリア教育講演会などで、横高生に直接お話しいただけたらよいなとの思いをいだきました。岡花(高31期)
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