神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】小川 聖子 さん(高29期)
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今回は、3分クッキングをはじめ、たくさんの著書、大学講師など多方面でご活躍の料理研究家 小川聖子さんのキッチンとご実家を訪問してお話を伺いました。
(取材日 2013年8月13日)   
プロフィール
神奈川県横須賀市出身 県立横須賀高等学校卒業(1977年)
女子栄養大学卒業
国士舘大学グローバルアジア研究科博士課程満期終了
修士(学術)、栄養士
テレビの料理番組出演、家の光協会料理講師、雑誌・新聞・
単行本の執筆・食品会社の商品開発等を主な仕事とする
日本各地の伝承料理と、食文化研究をライフワークとしている
趣味:映画鑑賞・読書・お菓子作り・保存食作り
<出演したテレビ番組、著書、新聞記事など>
 ☆日本テレビ「3分クッキング」・NHK「今日の料理」
  に出演
 ☆家庭料理・お菓子の本・ジャムの本・漬け物の本など
  実用書を中心に多数
 ☆最新刊は、8/16発行の
  「いいことずくめの粉しょうがレシピ」
   (2013年夏現在)
 ☆読売新聞連載「小川聖子の夕食クリップ」
 
料理研究家になった理由とお仕事の話
 

 母はすごく料理が上手で、おやつもリンゴを煮てクレープで包んだり、手作りのアイスクリーム等いろいろ作ってくれました。母は元幼稚園の先生で幼児教育に関心があり、私が生まれた時からどう成長するのか、いろいろな実験をしたかったそうです。きれいなものを見せたり、本を読んでくれたり、料理を手伝わせたりしたそうです。
それで子供の頃から本が大好きでした。中学2年の時、身体が弱くて長い間学校を休んだことがあり、その時に母が買ってくれた「子どもクッキング」という本がきっかけで料理本に凝って、家族や親戚からのプレゼントはすべて料理本。横高の帰りにも本屋さんで立ち読みをしました。
 

  
        
<初めての料理本>                    <弟さんからのプレゼント>
  

 両親の留守に台所をめいっぱい使ってお菓子を作ったり、クラスの女子全員の誕生日にお菓子を作ってプレゼントしたりしていました。(当時は男子27名女子16名)
 その頃は、料理は好きですが仕事にしようとは思っていませんでした。「栄養と料理」を毎月読んでいて大学受験の時、「食べることで人間を健康にしたり、病気を防いだりする」という考えから栄養学の扉を開けてみようと思って女子栄養大学に入りました。
 ケーキ屋さんになるにはフランスに行かなければと思って勉強中のある時、大学の先生から「ケーキを作って持って来てね」と言われて持って行くと、「じゃ、この仕事やってね」と言われたのが最初の仕事です。生命保険会社のリーフレットのお菓子コーナーの連載でしたが、仕事というよりお菓子を作ることが嬉しかったです。それからまた次の仕事の話があり、次々にやっていくことの積み重ねだったような気がします。
 本の世界や料理教室だけでなくテレビCM、ポスター、映画の仕事もしました。伊丹十三監督の「たんぽぽ」という映画では、ロケにも行って、ラーメンを600杯作りました。特に師匠もなく、出版社に自分の作品を持ち込んだ事もありませんが、与えられた目の前の仕事をこなしていくうちに次から次へお仕事の話をいただいてきました。
 今でこそ料理家は素敵な仕事ですけれど、最初は年配の方が多くて、23、4歳で何をしていったら良いのか?という感じでした。与えられたことをこなしていくうちに積み重ねて来たものを通して、結婚・仕事をしながらの家事・子育てを通してだんだんリアリティが出てきて「小川さんらしいよね」って言われたときはすごくうれしかったです。「料理研究家です」と言えるようになったのは40歳近くなってからかな~
   

最初の頃は、食器も自分で選びました。
                      
お話しをしながら 手作りのお菓子
   
 
3分クッキングの話
 

 キューピー3分クッキングは、実は7分プラスCMで10分の番組。5人の講師が交代で月~金と土曜日を担当しています。
 最初に仕事の話があったときは、「私には無理です」とお断りしましたが、それから14年、歴代講師の中でも続けて出ているのは一番長いかも知れません。
 スーパーで買える旬の食材で簡単にできる家庭料理を中心にレシピを考えます。
 1日で1ヶ月分、5回をまとめて収録しますが、あいさつから最後の盛りつけまでの流れはカットなし編集なしでほとんど生放送のようです。
 緊張はしますがあがってしまうことはありません。細かい台本はありますが、動きを全部理解しているのでほとんど間違えませんね。収録の10日前に、仕事場にしているこの部屋で番組スタッフに、5日分を1から10まで作ってみせて、収録の日はドライと言って本番と同じように動きだけチェックしてからいよいよ本番。他の料理番組に比べると顔の映るシーンは極端に少なく、私のキャラクターよりもレシピとか料理のポイントの方を大切にしています。
 必ず最後にお鍋から盛りつけたところで終了です。
 他の番組で、すでに盛り付けた物を見せているものもありますが、盛り付けたところが一番おいしくさが伝わると思います。

 今でこそ出来ますが、手の作業をしながら話すのはたいへんなことで、切りながら話をするのはとてもこわいですし、炒めながらはバリバリ音がするので話が聞こえないとか... わかりやすく親しみの持てる話し方ができるようにすごく勉強しました。

 撮影スタジオは横に広く、動きに合わせて移動します。画面に映るのがたまたま私とアナウンサーなのですが、50人くらいのスタッフさん達がそれぞれのパートでベストを尽くすことで成り立っています。時にはダメ出しもしますがその時はこっそりと、良かったときはみんなの前で「Good job でした!」と、本当に心から「ありがとう」と言います。
 来週はテキストの撮影です。

・・・・・後日のメール・・・「本日は、12月1月号の撮影でした。クリスマスケーキ、蒸し物、煮込み物など、暑かったああ。」

 著書は数百冊、単著は50冊くらいありますが、半分くらいはお菓子の本です。こんなにたくさんの本を書くようになるとは思ってもみませんでしたが、実用書を書くという事はそういう事です。主人は料理写真の基盤を作られた有名な料理写真家の弟子で、結婚式の記念品は夫婦で製作に携わった本にしました。


    結婚式の記念品
 
<47歳で大学院に入学し、博士号に挑戦!>
 
 毎月1回山形県の米沢へ行く仕事があって、年間を通して行く事で、暑い時寒い時にそれぞれ何を食べているのか、その地方独特の食材や料理法がわかります。それを恩師に報告したら「それは単なる興味よね、みんなにわかるようにするにはちゃんとした論文にしたり研究するための方法を手法として学ぶ必要がある」と言われ、食文化史を学ぶために47歳で仕事をしながら大学院に入りました。博士課程は英語があったので、死ぬ気で勉強しました。食文化史も始めた頃は知らない分野で興味がなかったけれど、やらなきゃ!ってやってみると結構好き!人の何倍もやるとわかってくるし、おもしろい。そして修士号を取り、今は博士号にチャレンジしています。
 社会人になってから大学院に行くということはすごく良いと思います。何が大切か自分の目的がはっきりしているし、勉強の仕方も、時間の使い方もムダがないですね。
 一方で私は大学講師として食文化史・調理学を教えています。授業は私流で、ひとり5分以上60人全員に必ず発表させるようにしています。そして必ずいい所を見つけて褒めます。

 今、調理科学の世界は非常に研究が進んでいます。でも、それを実生活と結びつけるということが遅れていると思います。料理番組でも例えば「タケノコを茹でる時に赤唐辛子を入れる」という科学的に全く意味のない事を旧態依然として教えている場合があります。調理科学と調理学、食文化史をリンクさせてその辺を整理できたらいいなと思っています。
 
<高校時代>
 
 担任は国語科の池田滋先生。家庭科は牧野嘉鶴子先生。家庭科は長いスパンでみた時の基礎になる教科だと思います。楽しかったし、興味を持って聴いていました。古文の加藤是子先生は皇室のお話をして下さったのを覚えています。大森恵子先生には体育でお世話になりましたが体育は苦手で、泳げなくて夏休みにプールで特訓もしました。でもなぜか、3年の時に友達に誘われて陸上部マネージャーをやっていました。
 高校時代は声が小さくておとなしい子でした。身体が弱くて夏になるとよく貧血をおこして倒れたりしていましたね。今は年下のアシスタントが倒れても私ひとりだけ元気、声も大きいし、ウソみたいでしょ!
      
当時のノートの中を見てみると・・・
  
 
クラス写真 2列目右から二人目 修学旅行写真 背が高くて、三つ編みをしているのが聖子さん
斜め前は学年主任だった小川先生
 
あるおじいさんのお話し
 

 衣笠でバスを待っている時に知らないおじいさんが私の紺のバッジを見て「横高生かね?今の友達を大切にした方がいいよ。いまにその友達がすごく大切になる時が来る。医者もいる弁護士もいる、いろんな人がいるわけだから大切にするんだよ」と言われたことがあります。その時はすぐに忘れてしまったけれど、何年も経った時にはっきりと思い出します。
 横高はすごく良い学校だと思います。
 どこの大学に行ったかは話題にするけれど、それの上下を比べない。「自分のやりたい事・自分の目的に合った学校を選んで良し」といった校風がありますね。人柄的にも卒業した学校の上下にこだわらずに自分にとって価値のある仕事をしている人が多いと思います。

 
 
メッセージ
 

現役生には、おもしろい事が待っている未来の為に布石を打っておくという気持ちを持って頑張ってほしい。できれば受験に成功したという自信を持って社会で生き抜いてほしいです。
 今役に立たなくても、自分の生きて行くための大切な宝物が、横高生時代という、あの時代にできるんじゃないかなあ...
 今、横須賀はとても良い傾向にあると思います。三浦半島の野菜や果物も湘南野菜・鎌倉野菜のようにブランド力がついてきた感じですね。「すかなごっそ」や「よこすかポートマーケット」などもできていますし、市長さん(高46期吉田雄人さん)にも頑張っていただいて、もっともっと横須賀ブランドを発信してほしいですね。若い人たちには素敵な所に住んでいる、素敵な所にある学校に通っているんだとプライドが持てるでしょ!


 
 
<ご両親は>
 
 お父様は昭和22~51年までずっと横高一筋の理科の先生をしていらした小川省二先生。定年後も他の学校で教壇に立たれ、今でも時々クラス会で理科の特別授業をされています。
 子供の頃、お父様が夏休みによく横高へ連れて行ってくれたこともあり、聖子さんは絶対ここに行くっていう気持ちで勉強したそうです。
お母様曰く「身体が弱くて学校を休んだりしたので横高に入るのは無理かと思いました。親が横高教師なので、誰が見ても入れるような成績でないといけないと思って頑張ったようです。プレッシャーもあったと思います。」
 お父様は映画やクラシック音楽、落語など多趣味、お母様は料理の他にも絵を描いたり音楽が好きで、ふたりとも知的欲求に対してすごく寛容で、欲しい本は全部買ってくれたそうです。
 
 
取 材 後 記
 
   取材をお願いしてから何度もメールをやり取りさせていただいて、お会いするのをとても楽しみにしておりました。にぎやかな戸越銀座の中ほどにあるキッチンにお邪魔しました。
 そんなに広くはありませんがきちんと使いやすそうに整えられた調理道具類、たくさんの食材や手作りジャムが保管されている倉庫にわくわくしながら、美味しい手作りのお菓子とお茶をいただきながら楽しくお話を聞かせていただきました。さらに写真をお借りするためにご実家へもお邪魔してご両親にもお世話になり、本当にありがとうございました。
 ものすごく幅広くしっかりとした信念を持ってパワフルにお仕事をしていらっしゃる聖子さん、今回の取材を通してますます大ファンになりました。
  石渡 明美(高23期)
  うわさには聞いておりました戸越銀座を初めて訪れ、仕事場にされている一室で、お話をうかがううちに、すっかり長居をしてしまいました。料理を考え、つくっているときも楽しいとのことですが、そのことをふりかえり話をしてくださる様子も実に楽しそうでした。その思いの積み重ねの片りんを、ご実家にしまってあった何冊もの古ぼけたノートから感じ取ることができました。「食」はまさに、その国の「文化」そのものである面を持ち合わせていることを考えると、学問としても、これからの学生さんたちと深めていっていただきたいなとの印象も深めました。

岡花 弘幸(高31期

小川聖子さんのご実家で、ご両親と。
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