神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】小泉 純一郎 さん(高12期)
ホーム   >  会員のひろば  >   会員の紹介  >  【紹介】小泉 純一郎 さん(高12期)
 
プロフィール
昭和17年(1942年) 1月 横須賀で出生
昭和29年(1954年) 3月 横須賀市立山崎小学校卒業
昭和32年(1957年) 3月 横須賀市立馬堀中学校卒業
昭和35年(1960年) 3月 神奈川県立横須賀高校卒業
昭和42年(1967年) 3月 慶應義塾大学卒業
昭和47年(1972年) 12月 衆議院議員初当選、以後厚生大臣、郵政大臣を歴任
平成13年(2001年) 4月 第87代内閣総理大臣就任 ~2003年11月(在職938日)
平成15年(2003年) 11月 第88代内閣総理大臣就任 ~2005年9月(在職371日)
平成17年(2005年) 9月 第89代内閣総理大臣就任 ~2006年9月(在職371日)
平成18年(2006年) 9月 小泉内閣総辞職、内閣総理大臣退任
 
 
 
横高時代を振り返って
 
 当時、親の後を継ぎたくない、政治家以外の職業に就こうと思っていたので、きわめて穏やかでおとなしく、できるだけ人目に立たないように、目立たないようにという習慣がついてしまった。また、横高の図書館にはかなり沢山の本を借りた記録があるようだが、日本文学、世界文学を読んでもつまらないからすぐやめてしまい、たいした本を読んだという記憶はない。
 
 横高卒業記念3年6組 前から2列目中央が小泉純一郎氏
 
 それが、大学に入ってから本を読み出し、以後、現在に至るまで、寝る前は本を読まないと寝られないという癖がついた。また、大学に入って何年か経ってから政治に興味を持つようになり、その方面の勉強に励み、そしていつの間にか、変人と言われながらも総理大臣になってしまった。不思議なものです。人間の考え方というものは時が経つと変わるものです。今、「これしかない」と思わないほうがいい。
 
 
マスコミで変人と言われる言葉について
 
 外国人記者の会で「私の数々の活動から、マスコミで言われている変人といわれるに相応しい英語はどんな英語だ」と聞いたら、記者は「Koizumi StrangeでもEccentricでもない。あなたはExtraordinary」だといわれた。「Ordinary」→普通、「Extra」→高級な(ウイスキーでもブランデーでも使う)日本で言う変人とは違う、チョッと特別、しゃれた語感が気にいっていて、英語ではExtraordinaryで通している。 
 
 
マイナスをプラスに捉える努力が大事
 

 「変人」のイメージは常識はずれの行動をする人、一般の人は調和できない人というふうにとられ、マイナスのイメージが強いが、何か変わったことをやっても「私、変人って言われるからいいんだ」って言うと、みんな納得しちゃう。自分にマイナスのイメージがあった場合はそれを悲観しないで、マイナスをプラスに捉える努力が大変大事だと思っている。

 
 
教育で一番大事なこと
 
 教育で一番大事なことはなにか。吉田松陰は人を褒めることだと言っている。人にはそれぞれの持ち味があり、どんな人でも必ず1つや2つは良いところがある。人は褒められるとやる気が出てくる。けなされたり、さげすまされたりすると、落ち込んでしまったり、反発する。親も子供に対し、叱ってばかりいてはだめ、7割がた褒めてあと3割は怒らないで叱れ。怒ってはだめ。これは幼児教育の基本である。
 
 
人間の三大欲

 人間の三大欲は食欲・性欲・名誉欲である。食欲がなかったら生きていけない。性欲がなかったら人類が滅びてしまう。名誉欲は政治家だけが持っているのではなく誰でも持っている欲で、人に認められてもらいたい欲のことである。人に認められて嬉しい、これが名誉欲である。日本国家も世界から認めてもらいたい。企業や学校も国民、県民、市民から「いい企業だなあ」、「いい学校だなあ」と認めてもらいたい。国家・企業・学校・先生・生徒・政治家・誰でもが持っている欲である。
 認めてもらいたい。人に認めてもらおうということで努力が始まる。人間、本能的に自らを高めようという気持ちを持っている。自分を向上させ、人に認めてもらうために勉強は一生続きます。人に認めてもらわないと寂しいです。

 
 
 
信頼される人
 

 人に認めてもらうことは極めて大事なもので、認めてもらう最良の方法は信頼を得ることである。信頼を得るためにはどういうことをしたら良いか。これが難しい。常日頃考えていますが、多く言ってもしょうがありません。三点を申し上げたい。一つ目は決められた時間を守る人、二つ目は人の悪口を言わない人、三つ目はケネディー大統領の就任演説にもあった、「人や所属する組織が自分に何をしてくれるのだろうではなく、人や所属する組織に自分は何ができるのだろうか」と考えて努力する人である。この三点を考えて行動すれば、信頼される人間になれる。しかし、口では簡単に言えるが、実際これを実行することはなかなか難しいことである。

 
 
 
 
自らを助ける精神、自らを律する精神
 
 今後、世の中が変化していくと思いますが、どんなに時代や社会が変化しても変わらない最も大事なものは自らを助ける精神、自らを律する精神だと思っています。野口英世は家庭も貧しく、手も障害を持って不自由だった。51歳でアフリカのガーナで黄熱病の研究の際に黄熱病にかかり死んでしまったんですが、当時、世界で最も有名な日本人でした。貧乏で、学校へ行く金もない。しかし、あの才能を見捨てるのは惜しいということで、多くの人が野口英世を支え、助けた。だから、ああいう不運な境遇とか障害を克服して、世界的な名声を博するような博士として活躍された。自らを助ける人、自ら努力している人は人がほっておきません。自分の持ち味を生かすために勉強していく、努力していく。そういうことはどんな時代になっても変わらない、ということを是非銘記していただきたい。
 
 
活躍する上において重要なこと
 
 健康が第一です。食事をいい加減にしてはいけない。食べることによって身体ができる。食物を正しくしていくことが出来るかどうかが、健康になるか不健康になるかを決める重要な要素です。(明治時代、陸軍の軍人は脚気が多く、海軍は脚気の人が少なかった。陸軍の軍医森鴎外はウイルス、細菌説を、海軍の軍医高木兼寛は食物説を唱えた例を話し)食物をおろそかにしてはいけない。今、脚気なんて忘れられている。食物が改善されて、バランスのとれた食物をとっているからなのです。病気になる、健康になるっていうのは、食物がいかに大事かって言うことがわかると思います。健康な体をつくるのは、薬でもない。病気になったら、薬やお医者さんも必要でしょう。しかし、その前に、普段の生活からしっかりした正しい食生活をおくることが、どんな分野で活躍する上においても極めて重要なことです。 
 
 
記念講演に際し母校に贈る書
 
 何か書を書いてくれと校長先生から言われたので、生涯学ぶことの大切さを説いた江戸時代の学者佐藤一斎のことばを書いて母校に贈ります。これは私の好きな言葉です。
少くして学べば壮にして為す有り
壮にして学べば老いて衰えず
老いて学べば死して朽ちず
 
若いときに学べば大人になって有為な人材になる
大人になって学べば年をとっても衰えない
歳をとって学べば死んでも腐らない
   

 三行目「歳をとって学べば死んでも腐らない」がまたいいですねえ。人間は、学ぶことの楽しさ、自分の知らなかったことがわかるという楽しさをもっている。これから学校を卒業すればもっと学ばなければならないことがたくさんあります。学ぶ意欲を忘れないで自分を磨いていただきたいと思います。

 
 
人間の真価は一番苦しいときにどういう態度をとるかで決まる

 みなさんも、これから色々な困難に遭遇すると思います。世の中思うようにならないことが当たり前なのです。プロ野球の松井選手、イチロー選手、超一流選手でも3割打つのは容易じゃない。サッカーだってシュートがゴールに入るのはごくわずか。失敗して当たり前。10のうち3つ良かったなと思えばよしと思う。世の中、上手くいくのは滅多にない。だから失敗しても落ち込むことはない。困難に直面したときに、どのように立ち向かってがんばるか。これによって人間は評価されます

 
 
 
恩師小川省二先生が語る小泉氏
 

 クラッシック音楽や映画を好むもの静かな文学青年だった。父の急死で、彼にとっておよそ不似合いな政治の世界にほうり込まれてしまった。それを知ったとき私は彼の気持ちを思い、心底可哀想でならなかった。
 国会議員になって大分たった頃、彼に「狐狸妖怪の跋扈する泥沼みたいなところで君のような純な人間がよく生きていられるね」と言ったことがあった。それが、いつの頃からかこれがあの小泉かと思う程逞しく変貌した。純粋さはそのままだがこの一徹さ、強烈さは一体どこに隠れていたのだろう。
 平成12年の暮れ、彼に送った手紙に君が頂点を極めるまでは私は死ねないと書いた、頂点を極めてしまった今、私は何時死んでもよいこととなった。事実、何時死んでも悔いのない程教師孝行をしてくれたと思っている。これ以上の幸せはない。まさに教師冥利に尽きるというものである。純一郎君本当にありがとう。

 
 
 
高12期安藤正宣氏が語る小泉氏
 

昭和36年3月
湯沢「一本杉スキー場」での小泉氏(後ろは安藤氏)

 1年生のとき同じクラスになり、なんとなく気が合い付き合い始めました。当時私のクラスでは昼休みに前庭でソフトボールをやるのが日課で、運動神経の良かった彼は、三塁手が指定席でした。また水泳はクロールが得意で、夏には校内のプールや三春町の彼の自宅裏の東京湾で一緒に泳いだものです。又早くからバイオリンを習っていたためか、音楽に造詣が深かったかと思う。高校の時はポピュラー音楽が好きで、プレスリーの曲をよく口ずさんでいました。昭和36年浪人中の彼と友人と3人で、生まれて初めてスキー場(湯沢)へ行きました。
 当時スキーウェア等持っておらず普通の格好で行き、現地で道具を全部借りました。スキー学校に入り練習しましたが、彼が一番筋がよく、滑降のフォームも抜群でした。これが病みつきになったのか、学生時代苗場や蔵王などかなりの回数滑りに行きました。当時我々は暇があっても金が乏しいので、安い民宿旅館に泊まり節約して一日でも長く滞在したものでした。彼の腕前も上達して「一級」クラスになりました。又麻雀もやりましたが、彼は面前で役作りをするのがすきで、鳴いてあがるのは嫌いでした。
 
 
編 集 後 記
 
小川先生・小泉氏・山本
 平成23年11月「恩師小川先生の米寿と級友の古希を祝う会」が横須賀市内の「龍苑」で開催され、小泉純一郎氏も参加されました。

 その席で少々時間を割いていただき、お話しすることができました。「国会議員退任後、どんなことをしていますか」と尋ねたところ「観劇、特に歌舞伎を楽しんだり、講演をしたりしている。」ということで、朋友会HP「ようこそ同窓生」に掲載することを快諾されました。

 記事は母校創立100周年記念事業の一環として平成20年5月29日母校体育館で行われた記念講演「ようこそ先輩」を拝聴した編集者の記録をもとに記しました。
 
小川先生、安藤正宣氏の話はそれぞれ了解をいただいて、朋友特別号に掲載されたものをもとに記しました。
 
  朋友会HP委員:高12期 山本誓一
ページの上に戻る