神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】櫻井 達美 さん(高5期)
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(取材日:2011年7月17日)

プロフィール

学歴
1934年 横浜市西区霞ヶ丘にて 出生
1941年 天津春日日本国民学校 入学
北京西城第一日本国民学校 転校
1943年 北京西城第二日本国民学校 転校
1945年 山形県狩川村国民学校 転校
横浜市立平安国民学校 転校
1946年 横須賀市立豊島国民学校 転校 (転校 なんと6回!)
1949年 横須賀市立不入斗中学 卒業
1953年 神奈川県立 横須賀高等学校 卒業
1957年 東京大学 工学部  航空学科 卒業
 
業務経歴
1957年 新明和工業株式会社 入社
1959年 輸送機設計研究協会 出向
(YS-1,YS-11 旅客機 初期設計に参画.荷重係,風洞実験に従事)
1963年 新明和工業に 帰任
(実験飛行艇 UF-Xの改造設計,飛行実験(荒海着水艇底水圧計測等)に従事)
1964年 技術士試験合格 (航空機部門) 登録 第9256号
1965年 有限要素法の胎動を感じ,三菱原子力工業株式会社 転職
1967年 数値解析研究所 設立
1982年 (株)計算力学研究センター 設立
2004年 飛洋航空機製造開発株式会社 設立
 
 
 
修行時代からの発展
 
YS-11
あこがれの航空機開発の夢に向かって修業と研鑽に励むなかで、戦後初の国産旅客機の開発(YS-1、YS-11)に係わることができ、それまで日本の航空機開発の先端におられた方々(零戦の堀越さん、飛燕の土井さん、二式大艇の菊原さん、隼の太田さん)の指導を受け、設計哲学を学べたことは素晴らしい経験になりました。実際の開発では名機といわれたYS-11の機体一部の設計に携わることができました。

その後、三菱原子力工業(株)に転職、電子計算センターに勤務し、骨組構造解析プログラムFRANに出会い、本邦初の商用有限要素法プログラムPLANの開発のきっかけとなりました。

その後,軸対象構造用のCYLAN、総合構造解析プログラムGSAPなどを次々に開発し、それらは人工ダイアモンド製造装置の設計や原子炉配管設計、大阪万博太陽の塔の周りの大規模トラス構造解析等にも使用されました。

 
 
エビソード 1
 
このような幅広い応用範囲に適用可能なツールとして電子計算機と有限要素法の発展性に感ずるところがあり、有限要素法プログラムソフト開発専業会社 数値解析研究所を友人とともに1967年に設立しました。

この頃すでにコンピュータを使ってさまざまな計算を行う企業がいくつかあって、大型のハードウエア(といっても主メモリ32KW)を所有してこれを時間貸しする企業が活動していました。この際用いるソフトウエアは受注上のサービスとして無料で提供されていた時代でした。

私たちの狙いは、今までサービスで提供されていたコンピュータソフトを、それが独立した商用価値のある製品として、世にみとめられるよう、有限要素法を用いた構造力学解析プログラムを専門に提供しようとした所にありました。

1970年に "かりふぉるにあ丸" と "ぼりばぁ丸" 沈没事件が発生し、原因解明と構造力学の設計手法としてコンピュータ利用が有用であるとのことから、大型化を求められる輸送船の設計基準を設定しようと造船研究協会が主導した大型プロジェクトが発足しました。

このプロジェクトは、通常の随意契約ではなく幅広く英知を集めようと公募制をとり、パイロットプログラム競争試作を提案し採用され、IBM、 UNIVACと我社の三者で1年間の開発競争に突入し、答えを導くこと一点に目標を絞り、我が社のみが納期を守り見事に落札しました。オイルタンカー、バルクキャリア、オアキャリアの3種の専用プログラムを開発し、超大型船の設計に実績を残しました。

 
 
エビソード 2
 
通信衛星( ADEOS-II )
1982年に到り更なる発展を目指し有能な協力者を得て、非線形有限要素法解析プログラム開発を目的とした(株)計算力学研究センターを設立しました。

成功事例の一つとして、宇宙開発事業団の開発した通信衛星( ADEOS-II )の太陽電池パドルを宇宙空間で広げる過程で、うまく広がらないという事故が起き、その解析を請負い、無重力状態における展開挙動が地上実験と著しく異なる結果を得て、改良の提案を行い次回の打ち上げで見事成功させました。

従来このような場合は、担当したメーカーが対応する習わしでしたが、異なる視点からの観察と、いくつかのパラメータでのシミュレーションを行うことで、解決できた事例でした。この指摘も推薦して下さった大学の先生の紹介によるものでした。

 
 
更なる発展へ
 
2003年に大田ビジネス創造協議会に入会し、技術開発部門を担当し、水上飛行機開発プロジェクトが立ち上がりました。

2004年には、飛洋航空機製造開発株式会社を設立し、2006年に水上機の開発を産官学(中小企業による水上機開発事業協同組合を結成)、東大、東海大、横浜国大、日大、早稲田大、東京航空高専、都立産業技術研究所、(社)強化プラスチック協会などとの協力体制で具体的に活動を開始しました。

納入機

水上機の開発に着目したのは、我が国は面積に比して海岸線が非常に長いこと、離島間の交通手段としては、船舶以上に利便性が高く且つ簡易な設備で済むなどの特徴があります。欠点として静かな水面でしか離着水できないことがあげられます。これを克服すべく、世界初の発想でフロートの動きをダンバーで吸収しようと、その実現に挑戦しているわけです。

現在、試作機が完成し、各種試験を実行し改良を重ね、データの収集をしつつあります。

沖縄の有志からの受注が決まりマスコミにも取上げられ、島嶼間の連絡や往診に期待が寄せられています。

 
 
そよかぜ2号の開発
 
現在、今までに得た実験データと新しいアイディアを加味しながら「そよかぜ2号」の実験機を完成させ、実際に水上の走行実験を行って総合的な実用機としての完成度を高めるためのテストを行っているところです。

その様子を動画でご覧に入れます。波の上でフロートは上下に動きながらも機体は安定しているところを見て下さい。

 
 
マレーシアとの交流
 
2010年の初め、マレーシアの現地法人を経営する日本人H氏を紹介したいとの提案がわが横高5期の門奈 駿君から寄せられ、ジョホール州サルタン(国王)が、飛行機に詳しく私共の事業と研究に興味を持たれているとのことで、現地に門奈君ともども訪問し、マレーシア工科大学を見学してきました。

この大学の関係教授の皆さんと意見交換をしながら、特に「高耐波性水上飛行機」には大変関心を示され、是非共同研究に参加したいとの提案がありました。
大学の設備・教授や学生の意欲などを見聞し、意欲的な姿勢が見て取れました。

さらに、航空機関連の生産工場に案内され、立派な工場に感心させられました。
ここに来るときに乗ってきたエアバスA380の「フラップ機構カバー」が、この工場で作られていることも知りました。

2010年6月、再びH氏のご招待で関係者と共に、マラッカ市で開催される航空祭に水上飛行機開発プロジェクトを展示すると同時に、同じく展示している現地の航空関係諸機関とのチャンネル構築および現地航空工業事情を調査するため、及び共同開発の覚書を取り交わした現地大学UTM(Universiti Teknologi Malaysia)を中核とした関連機関と,今後の具体的開発の協議を行うため、現地に赴きました。
ここで、UTMの主任教授と持参したダンパーを、先方の予定している機体への適用をするべく検討を行いました。

翌日は、航空祭の会場でUTM側の風洞模型ならびに6自由度フライトシミュレーター装置などの説明を受け、当方からは、在来機と新サスペンションの水上機の耐波性の相違を示す計算シミュレーション結果、横浜国大における正弦波中曳航試験、霞ヶ浦におけるULP実機の波浪中走行テストの3種を動画で展示し、性能をアピールしました。

サルタンに拝謁

次いで8日、王室拝謁準備のため、水上飛行機開発プロジェクトをマレーシア日本の双方で進める方式を提案するための事前協議を行いました。

2010年6月9日、関係者共々宮殿を訪問、王室所有の各種飛行機を見学、次いでサルタンに拝謁、水上飛行機開発プロジェクトをご説明申し上げ、ご援助をお願いしました

サルタンは大変飛行機 特にヘリコプターに詳しく、水上機に関しても造詣が深く、ポーポイズ、ステップ後方の渦などについてもお話があり、フロート頭部形状について、アイディアを授けていただきました。紙と鉛筆をお渡ししてそれを画に描いていただき、サインまでしていただいたので、櫻井家の家宝にしますと申し上げました。

王室から寄付された MARLIN GT

サルタンから戴いたお話を総括すると、水上飛行機開発プロジェクトに関しては、UTM(マレーシア工科大学)と共同することは大変良い。政府にも協力させる。王室も協力する。実験用に王室所属機のうちの MARLIN GTを寄付(UTMに)するとのありがたいお話をいただきました。

2010年10月29日にマレーシアから、関係視察団一行を迎え事前打合せの後、11月1日都庁へ案内し、吉川和夫副知事へ挨拶、シュハイミ教授からマレーシア側の方針として,サルタンから拝領の機体を用いて,実験機への改造,実験の実施について構想を説明し、櫻井から、実験機の運用など、またテストパイロットもUTM マレーシア側が提供との説明を行いました。

これらの説明に対し,吉川副知事よりマレーシアとの連携プロジェクトは都の方針と完全に一致しているので,以後は渡邊副参事を通じて具体的案件を何でも相談に乗って頂けるとの有り難いお言葉を戴きました。

次いで都庁内の首都大学東京本部を訪問、本プロジェクトの構想と計画を説明し、協力をお願いしました。

11月3日実験機の披露と運用実験を体験して頂くため、訪問団一行を霞ヶ浦の実験会場に案内し、さまざまなデモンストレーションを行い、また来訪者には実際に搭乗して頂き、フロートの動作・機体の安定度などを体験、その優秀性を実感して頂きました。

 
 
取組中のテクノロジー 1
     ~5人乗り人力タクシーの改良案~
 
1. 動力不足を補うため、客席の各々に陰顕式足漕ぎペダル及び手漕ぎハンドルを付け、フライホイール経由で運転者の足漕ぎ動力に加えます。
  (これは運転者がブレーキを操作したら切り離されて急停止を妨げないようにしてあります。)
2. 客席からの動力供給量を積算できる装置を開発し、運転者の足漕ぎ動力との比で動力貢献度を算出、乗車料金から差し引いて乗客の努力に報います。
  ⇒人間は努力に対して正当に評価されることを喜ぶ習性があるので、大いに頑張り、メタボ解消に役立つことでしょう。
<発生エネルギー簡易積算装置はすでに考案済みで、特許申請手続き中です。>
 
取組中のテクノロジー 2
     ~小型機用新推進システムの開発~
 
世界の小型機の推進機構は、レシプロエンジン、ターボシャフトエンジンを原動機に用い、単方向回転のプロペラを駆動する方式です。

この方式は、プロペラ後流が捩れるため離着陸時大きな捩れが発生し、それを補正するためのかなりな操舵が要求されます。また、飛行中、上昇、下降、旋回時にプロペラ回転による大きなジャイロモーメントが発生しますので、その補正のための操舵が必要となり、プロペラ飛行機の操縦を複雑にしていました。

また、プロペラ自体も各飛行速度にあったピッチ角をとるのが理想的なのですが、小型機用としては複雑化、重量増加の点から実用的ではないので、現在までは可変ピッチプロペラ、定速プロペラは小型機用としてはほとんど実用化していません。

これらの問題点を解決し、小型機,超軽量飛行機などの性能、安全性を大幅に向上させ運用効率の改善に著しい効果がある小型機用新推進システムを開発することにしました。

まず、第1の単プロペラの欠点をなくすため、通常の減速機構の歯車の個数そのままで、小型簡単軽量で二重反転プロペラを駆動できる装置(特許出願中)を開発しました。(写真・図 参照)

二重反転機構の原理模型       二重反転機構模式図

第2の問題点は、複合材料の材料設計手法を活用、無機構で定速プロペラを実現し、低飛行速度(離着陸時)では低ピッチ、高飛行速度(巡航,最高速度)では高ピッチに自動的に変更できる様にして解決しました。

さらに、空中での不測のエンジン停止時、自動的にフル・フェザリングにする機構を持たせました。

この3方法を組み合わせて小型機用新推進システムを開発し、全世界に販売する計画です。

 
FRP繊維強化プラスチックの応用
 
水上飛行機の外装の材料として従来はアルミニュウム合金(ジュラルミン)が用いられてきましたが、海水による腐食が欠点として存在していました。現実には飛行後真水で隅々まで洗浄する必要があり、その設備と費用が悩みの種でした。

そこで漁船などの小型船舶に用いられているFRPを用いる案が浮上し、整形型を起こすのに有利な、従来のハニカム構造の改良方式を開発し、曲面を作成可能にしました。

 
小型水上飛行機の必用性
     ~水上(水陸両用)飛行機の開発の必要性~
 
日本の陸地面積は世界で100位以下ですが,海上を含めた占有領域は世界第13位の広さを持っています。

この海洋、観光資源を活用するには水上(水陸両用)機が最適であり、また、大災害時は陸路が寸断されてしまうので,海上からのアクセスが可能な飛行機が不可欠です。

日本と同じような島嶼国であるマレーシアでも、マラッカ海峡の治安対策や島々の輸送・救急搬送などに有用性を見いだしているのは至極当然のことと理解できます。

日本でも、大型飛行艇による定期便が、昭和14年3月末から横浜・サイパン・パラオが週一便、横浜・サイパン・トラック・ヤルートが隔週一往復、昭和16年には横浜・パラオ間が週3往復、サイパン・ヤルート間が週一往復が運行されていました。

小笠原諸島や南鳥島などをカバーする航続距離2000kmの性能を持つ水陸両用の飛行艇を開発できれば、明るい未来が待っていると確信しています。

今まででも、テクノスーパーライナーや現在の定期船「おがさわら丸」が港湾設備・環境保全、燃料代の高騰などの面から断念や発展を制限せざるを得ませんでした。

現在、私たちのプロジェクトの構想している水陸両用の飛行艇構想の試算では、

 
  おがさわら丸 飛行艇
所要時間 25.5時間 2時間
年間便数 59往復 1000往復
となります。

感情や政治的発想から脱却して、将来に明るい希望を持ち、技術開発に励みたいと思います。

 
 
恩師の思い出
横高には素晴しい先生がおられたと思います。特に数学の大川先生は、印象に残る先生でした。朝の5分間テストで田舎の高校生の意識を格段に押し上げてくださったと感謝しています。

科学部に所属していたからだとも思いますが、堀江先生や五十嵐先生(理科)に片手の指だけで31までの数を勘定できる方法を教えられ、両手を使えば1023まで数えられることを教えて頂きました。
2進法などという言葉さえ知らなかった時代に驚くべきことでした。

参考(指2進法)の解説はこちらご覧ください。<新しいWindowが開きます。>

久保寺先生(理科)からは、教科書には発火材として砂糖に硫酸を加えると発火すると書いてあるが、この方法は危険だからこの実験はしてはいけないと釘を刺され、発火を遅らせるには過マンガン酸カリ(KMnO4)にグリセリンを滴下するとよいとのことでした。
土に穴を掘り実験するとしばらくするとポンと土が跳ね、直径10センチメートルぐらいの穴が空きました。
みんなで、手をたたいて成功を喜びました。それにしても、先生って教科書にも載っていないことを即座に教えて下さる、凄いなぁと思いました。

また、記念祭(今の文化祭)では、ロケットを打ち上げ、多いに自慢したものでした。(いまでは到底むりでしょうね)

 
3年修学旅行にて(京都嵐山) <後列左から5人目>
 
科学部の仲間 <右から五十嵐先生その次が私>
 
私の趣味
趣味としては、電気いじりが始まりで、真空管アンプやアマチュア無線送受信機を手作りし、アマチュア無線局(JA1HPG)を開局・運用して大いに楽しみましたが、現在は廃局しました。それから写真道楽で、ライツ・フォコマート自動焦点引伸機を使って真っ暗な中でカラーの引き延ばしをやりました。

現在は、デジタルカメラにとりつかれ、NIKON D1XからD700と、昼間でもカラープリントが出来るのを楽しんでいます。

だが、最近の携帯やコンパクトカメラでの写真もなかなかのもので、重い一眼レフを持ち歩く機会はどんどん減ってきています。仕事の記録半分、趣味半分というところでしょうか。それに、今仕事として手がけている飛行機作り、趣味というより夢の実現ですね。

先日喜寿を迎えましたが、これからも零戦の栄光を再現する優れた飛行機の開発を目指して頑張るつもりです。

 
 
後輩へのメッセージ
皆さんは、この紹介記事をどのように読まれたでしょうか?

限りある紙面や専門性の強い内容で説明不足のところがあるかもしれません。

少しでも疑問やさらに詳しい説明を求めたい方は、直接私宛質問して下さい。メールアドレスは、下記のとおりです。これは、横高にとって貴重な財産になると思います。活発な質問を期待します。

アドレスはsakurai@rccm.co.jp です。
 
 
取材後記
横高5期生としてしかも最初の女子生徒入学ということで、先生方や上級生は大変戸惑ったと聞いていますが、我々は余り意識はしていませんでした。
櫻井君とは、科学部と電気遊びで楽しい3年間でした。ただし、卒業後は設計ばたけと実務の職人ばたけで仲良くお付き合いさせてもらっています。今回のインタビューは、35年間のギャップを少なからず埋めてくれました。さらに実績と成果を積まれるよう祈ります。
[高5期 幸嶋孝治]  
猛暑の日曜日に大田区にある会社にお邪魔し、お話を伺いました。
根っからのものづくり職人と言うのが第一印象でした。飛行機の話になると話題は尽きず、さすが今でも現役の技術者の顔で、目を輝かせてご説明頂きました。
ご趣味とお仕事が合致している点、本当に幸せな先輩...と感じました。夢が一日も早く実現されることを、お祈りします。
[高10期 杉原芳樹]  
 
櫻井先輩のインタビューの中で、数学を応用して会社を通じて社会に大きく貢献しておられることがよく理解できました。現役の母校 横須賀高校の数学の教員としては、授業の中で是非とも触れていきたいことです。
また、年齢を重ねてもエネルギッシュに新たなことを創造し、それに取り組んでいく姿勢は、今後の私たちの人生の手本だとも思いました。
[高28期 飯田英夫]  
 
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