神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】上野 正博 さん(高37期)
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(取材日:2010年9月14日)

プロフィール
1966年 神奈川県に生まれる
5歳よりピアノ・ソルフェージュを始め、高校時代より指揮を松尾葉子氏に師事
1990年 東京芸術大学音楽学部指揮科卒業
1993年 同大学院音楽研究科指揮専攻修了
指揮を山田一雄、松尾葉子、F.トラヴィス、和声法を尾高惇忠、ピアノを勝谷寿子、オーボエを小畑善明の各氏に師事
1994年 東京国際音楽コンクール・指揮部門にて「入選」
1996年 国際ロータリー財団親善奨学生として、ベルリン芸術大学に留学
その後、「ベルリン・ドイツ・オペラ」の指揮研究員として、Ch.ティーレマン氏の下で研鑽を積む
1998年 ギリシャ・アテネに於いて、世界的権威あるディミトリー・ミトロプーロス国際指揮者コンクールに最高位(1位なし2位)入賞を果たし、併せて「ミトロプーロス・ゴールドメダル」を授与されて帰国
ドイツ語圈の代表音楽誌「Das Orchester」にて絶賛される
今までに、東京都交響楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、新日本フィルハーモ二ー交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、群馬交響楽団、名古屋フィルハーモ二ー交響楽団、京都市交響楽団、広島交響楽団、札幌交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪シンフォニカー交響楽団等を指揮し、好評を得てきた。特に群響とは年間契約として10年以上頻繁な共演を重ね、密接な関係を続けている。
また、国内主要オペラ公演の音楽スタッフとしての信頼も大変厚く、新国立劇場、二期会オペラ、日生劇場、琵琶湖オペラ、サントリーホール・オペラ、NHKニューイヤー・コンサート等で、若杉弘、大野和士、A.グァダーニョ、各氏他のアシスタントを務め、読売日本交響楽団公演では、ドイツの名匠G.アルブレヒトに直接指名され重責を果たした。
自らも、多くのオペラを指揮し、2005年3月には、静岡県民オペラ「蝶々夫人」を指揮。
2010年7月には渋谷シティオペラ「カルメン」を指揮し、「音楽現代」誌上にて絶賛された。

11月には藤沢市民オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を指揮予定。
海外では、2000年に国立ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団定期公演、ウィーン室内管弦楽団のオーストリア・ツアーを指揮してヨーロッパ・デビュー。地元紙にも「的確な棒さばき」を評価された。
2006年11月には、ラボラトリウム国際現代音楽祭(ワルシャワ)にて指揮。活動の場を広げている
2011年現在 東京藝術大学大学院、および、フェリス女学院大学非常勤講師 (2011.7.20追記)
 

異常気象で残暑厳しい9月14日(火)、たまには母校へ... ということで、はるばる茅ヶ崎からおいでいただきました。

校長室でのお話から
まず、諏訪部校長先生にご挨拶に伺い、上野さんが在学中国語を教わり、ブラスバンド部のトレーナーと顧問という関わりもあり、いろいろお話させていただきました。
諏訪部先生は昭和51年4月~平成3年3月まで国語教諭として本校に在職。昨年4月、校長として再び横高に赴任されました。
 
諏訪部校長と歓談
(諏訪部先生) 「いや~、立派になったねー!高校の頃も立派だったんですよ。うちの生徒はみんな良いけれどちょっと違ったんですよ。神奈フィルだよね。100周年の時もわかっていたけれど声をかけられなかった」
(上野さん) 「100周年は神奈川フィルの指揮者として呼んでいただきました。オーケストラは1年間ずっとひとりの指揮者で活動しているわけではなく、いろいろなオケに呼んでいただきます」
(上野さん) 「卒業して26年になります。担任は吉川先生(体育)で今度の土曜日にクラス会がありますが、ちょうど新潟へ行くので出席できません。当時の校長先生は園部先生、尾崎先生、山本弘二先生、芸大の教育実習でお世話になったのは尾高先生です。ブラバンのトレーナーとして来ていた時、諏訪部先生が顧問でした」
(諏訪部先生) 「楽器運びが大変だったね。千葉の岩井海岸での合宿はOBが企画して、スイカ割りとか度胸試しとか、懐かしいね」
(諏訪部先生) 「生徒が昔と全然変わっていない。こんな良い原石なんだから、もっと鍛えて、高い所から引っ張り上げるようなことを考えて実行しています。アカデミアは生徒にとってすごい刺激になっていると思うよ」
(諏訪部先生) 「一週間何やっているの?」
(上野さん) 「決まった仕事はなく、今週は、雑誌取材と新潟にジュニアオーケストラの指導に行きます。10月3日は第26回かながわ音楽コンクール入賞記念トップコンサートで神奈川フィルを指揮します。審査員もしているんですよ。忙しい時とそうでもない時があって、時間がある時は予習をします」
 
<お話は尽きませんがこの辺で...>
(上野さん) 「久しぶりに諏訪部節を聞きました」
 
その後、小野副校長先生の案内で校史資料室を見学
       
階段を上って5Fの音楽室へ

ちょうど授業前で準備室にいらした湯川先生と少しお話をして記念撮影。

湯川先生と... あ~これこれ! 5Fからの眺め!
 
それから事務局に戻ってお話を伺いました。
 

 

部活は---------

ブラスバンド部でした。小さい時にピアノを習っていましたが、その後ずっとピアノとは離れていました。中学では卓球部に入っていて、音楽の道に進むことは全く考えていませんでしたが、受験の頃、妹が習っていたピアノを弾いたり、いろいろな曲を聴くようになって、高校に入学したらブラバンに入ろうと決めていました。

楽器は、当時、金管楽器は男子、木管楽器は女子という暗黙のルールがあって、最初はユーフォニウムでした。でも、どうしてもオーケストラの楽器をやりたくて、先輩に直談判して、新しくオーボエパートを作りました。2枚リードの楽器は音を出すのが難しくて、初めはチャルメラのような音でした。その後、中学でオーボエをやっていた後輩が次々に入って来て今も続いていると思います。

高校の頃は、今以上に行動力があって、無謀なことでもやりたいというエネルギーで何とかなっちゃうみたいな所がありましたね。芸大に行きたいと思ったのもその頃で、普通のサラリーマン家庭でしたから、親はびっくりしたでしょうね。

指揮科を選ばれたのは-------

県立音楽堂に先輩の演奏会を聴きに行って、その時に「指揮者になろう」と思いました。指揮者がかっこいいと思ったのではなく、演奏者の指揮を見る目、指揮者とのコミュニケーションを見て「あ!これ!」と思ってしまいました。

指揮者になるには、指揮棒を振る前の勉強が必要で、ピアノを教わった矢野義明先生(高7期)に芸大の指揮科を出られた先輩の川合良一さん(高20期)を紹介していただいて、まず譜面の読み方とか、楽器の勉強とか音楽の総合的な勉強を習いました。川合先生の紹介で当時芸大の非常勤講師を始められたばかりの松尾葉子先生に一番弟子ということでとっていただきました。

最初に受験した時は、定員2名のところ2次発表で僕だけが残ったんですよ。もしかしてと思って3次発表を見に行ったら「合格者なし」って...  あの5文字、未だに覚えていますよ。で、上野公園をぼーっとしてさまよっていましたね。横須賀高校へ行った人の最初の挫折みたいなものですね。今考えると、その時の浪人したことの敗北感などその後に味わった苦労に比べれば何でもないですけどね。当時の18歳の自分にしてみれば一大事だったんです。

1983年秋(横高2年)本格的に指揮法を学び始めたばかりの時期、文化祭で吹奏楽部の演奏会を体育館で指揮
その後ベルリン芸術大学に留学されたわけですが------------

芸大大学院を卒業してから、1994年東京国際音楽コンクール入選。

世界最高のオーケストラの演奏と練習を自分の目と耳で確かめたくて、留学情報のアンテナを張り巡らしてチャンスを待っていました。その間、母校のブラバンのトレーナーとして後輩の指導に来ていました。まだ指揮者として確信が持てない状態でしたが、30歳の時、今までの仕事を全部断って収入をゼロにした上で、地元茅ヶ崎のロータリークラブの国際奨学生制度をお願いして、妻と一緒にベルリン芸術大学に留学しました。ロータリークラブのネットワークが強く、ベルリンフィルの団員の紹介で、フリーパスでオーケストラの練習を見学できるようにしていただきました。毎日のように ベルリン・フィルハーモ二ー・ホール(ベルリン・フィル本拠地)に通って、リハーサル見学、コンサート鑑賞、と生きた勉強をさせてもらいました。いつも写真のような、オーケストラの真後ろの安い、かつ指揮者を正面から観察できる場所で本番を聴いていました。私のベルリンでの世話役、R.ヴァインスハイマー氏は、ロータリー会員で、元ベルリン・フィルハーモ二ー管弦楽団チェロ奏者、楽団代表で、カラヤンとも親交の厚かった方です。

 <もう芸大大学院まで出ているので学校へはあまり通わなかったそうです。>
西洋崇拝的な考えがありますが、東京芸大がいかにレベルが高いか知ったことも勉強になりました。ヨーロッパは間口が広いけれど卒業は大変で、いろいろなレベルの人がいます。

ドイツ統一直後だったので経済状況も大変な時でした。また、建築ラッシュの時代で、記念写真を撮ると必ずクレーン車が写っていました。復興中の工事現場が観光名所になっていましたね。

1996年冬.ベルリンの国際ロータリー財団のパーティにて(左から、R.ヴァインスハイマー氏、F.ヴァインスハイマー夫人、私) ベルリン・フィルハーモ二ー・ホールにて
指揮者とは----------

「指揮者ってかっこいいですね」とか「指揮をしていてどういう時が一番気持ちいいんですか?」とか良く訊かれますが、全くそういうことはなく、気持ちいい瞬間なんてほとんどありません。どんなにオケが盛り上がっていても、その中で必ず目や耳をアンテナを張り巡らしています。DVDなどをみるとかっこ良く振っている指揮者もいますが、パフォーマンスを意識すると演奏者との間に温度差ができてしまうことがあります。演奏者のために指揮をするのであって、その結果としてお客様に見えるのであって、我々の仕事は職人だと思っています。

指揮者は聴覚から脳から全身を使います。一生懸命すぎると聴こえていないことが多い場合があります。プロのオケはどんどん冷めていきますね。(ずれてない?ハーモニーは?テンポは?これでいいの?などなど...)音がフォルテシモで響いてお客様が盛り上がっていてもオケの皆さんは一緒に熱狂していません。必ず他の楽器を聴いていて集中はしますが、没入することはありません。

たくさんの楽器があるオーケストラのスコアを見る能力はすごいですね---------

慣れもあると思いますが、やはり予習が大切です。ある程度経験を積んでくると「こういう時はこういう音がするはずだ」というのが見えてきます。参考にCDを聴いたりしますが、音のイメージだけだとインチキの誘惑がありますから危険です。あくまで参考に。

クラシックから現代音楽までありますが得意な分野は----------

仕事となると自分のやりたい曲をやらせてもらうことはほとんどありませんね。企画者としてはお客様が入るかどうかが一番の問題なんです。

苦手な曲は...----

全部苦手ですよ。予習していきますが、予想外のことが起こるので指揮台の上でどう対応できるかというのが勝負ですね。

あるイベントで打ち合わせしていたんですけれど、演奏が終る前に挨拶が始まってしまったので、あわててフェイドアウトしました。何回も振っている良く知っているオケだったのでできたことで、「あの場では最善の対応だった」と...そのことでオケとの絆が深まったかもしれません。

オーケストラとの合わせは-------------

プロのオケは直前に多くて3回です。お互いに予習して来ますから... 経営を成り立たせるにはできるだけ練習を少なく本番を多く...だそうです。アマチュアは練習を多く、4~5ヶ月かけて仕上げます。

練習術が大事で、プロは練習の内容で見定められてしまいます。シビアですね。

オペラの場合はまず歌手との練習が入ってきます。演出がつきますので直前だけというわけにはいきません。バレエは音楽より振り付け優先なので今はやっていません。

ジュニアオーケストラのこと----------

新潟市のジュニアオーケストラの指導をしています。音楽に関してまっさらでストレートに受け止めてくれるので責任重大です。メンバーが毎年入れ替わるので、卒業生が抜けて新しいメンバーが入ってくるともう一度最初からなので、子育てと一緒ですね。根気よく続けるしかありません。お互いに聴き合い、自分たちで考えさせるような指導をしています。

100周年記念演奏会のこと-------------

それまで卒業生ということを忘れていたくらいなのですが、思いがけずお話をいただいて野村昌男先生(故人)はじめ100周年準備委員の皆様と何度も打ち合わせに来て、自分が思っている以上の卒業生のネットワークがあることに呆然としました。校舎の中に足を踏み入れただけでなく、同窓の輪の中に入れていただく最高のきっかけを作っていただいたと思っています。一卒業生として式典に参加しているのとはまた違って、一番光栄だったのは、先輩から後輩まで全員で校歌を歌ったことです。また、地元のプロのオーケストラとのコンビで同窓の和を仕切らせていただいたことは、音楽家としてこの学校を卒業した人間として、本当にこれほど名誉なことはないと指揮をしながら思いました。

清水先生とは-------
清水さんと上野さん(100周年記念音楽祭で)

芸大に入って何年目かに先生が本拠を日本に移して芸大の教授として赴任されました。

大学の中に教官で構成されている芸大オケというのがありまして、試験の時とか振らせていただいて育てていただくのですが...そのコンサートマスターを務めていらっしゃいました。その時「横須賀高校の卒業生です」と控え室にご挨拶に伺ったことがあります。

100周年の時は指揮者とソリストという立場でお話しさせていただきました。清水先生ご自身も久しぶりに同窓生という意識が湧いたとおっしゃっていましたよ。

平井逗子市長と同級生ですね----------


3年くらい前に神奈フィルを指揮して逗子市小学校芸術鑑賞会があって、連絡をしたら聴きに来てくれました。もちろん司会の方に話題で盛り上げてもらいました。
1984年(3年時)体育祭で最前列右が私、私に抱えられているのが平井 現逗子市長
のだめ効果は------------

「のだめカンタービレ」の大ヒットでクラシックファンが増えたかというと、そうでもないようです。一時的にベートーヴェンの交響曲第7番の依頼が増えましたね。それで、100周年でも第7番でした。

演奏会に玉木宏さんがゲストで来られたことがありました。客席から「千秋せんぱ~い!」と声がかかり「千秋ではありません」と繰り返していたとか...お客様は、もしかすると玉木さんが指揮をすると思ったのでしょうか、チケットが早々に売り切れたそうです。

音楽以外の趣味は------------

読書と家族旅行です。今年の夏も毎夏恒例にしている谷川温泉旅行。 年に何回かは、仕事を忘れて旅行でリフレッシュしています。

谷川岳をバックに

後輩へのメッセージ---------

地元、三浦半島ではエリートの学校という自負があると思いますが、特にこれからの時代は、より広い視野を持って欲しいですね。今は情報が多いし情報を得るのも簡単ですが、その中で何が本質かを見極めることが大切で、本当に大事なことというのはそんなに簡単に手に入らないものです。自分が留学までして勉強して、それでも通用しない。それを基にしてさらに積み上げていかないと認めてもらえない世界があるわけです。これは音楽に限らないと思います。本物を見極める目と自分自身も本物を目指して欲しいです。

それとマスコミとかで言われていることと違う意見を読んだ時に、「あ!もしかしてこっちが本当じゃないの?」という気持ちを持ち続けることも大切ですね。反対意見を言うとネットで攻撃されたりするけれど、面と向かって反対意見を言える社会になっていかないといけないと思います。

特に横高を卒業すると、将来、指導的な立場になることも多く、周りからちやほやされることもあると思いますが、それはとても危険なことで、本当に大切なことはまわりの評価ではなく自分自身だと思います。大変ですけれど、安易な方向に走らず、努力し続けて欲しいと思います。

今後の活動は-----------

2010年 11月6日(土)、7日(日)、13日(土)、14日(日)

藤沢市制施行70周年記念 藤沢市民オペラ
「カヴァレリア・ルスティカーナ」/「道化師」

   http://www.cityfujisawa.ne.jp/~geibnzai/new/  参照>

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あとがき

                 

左から石渡、諏訪部校長、上野さん、和田

多少音楽に関係しているOB合唱団員ということで取材を担当させていただきました。

いつも指揮をしていただく立場ですが「オーケストラの複雑な楽譜を一度に全部見たり、たくさんの楽器の音を聴き分けるのはどんなにたいへんなのだろう?」という素朴な疑問にもお答えいただき、大変興味深くお話を伺うことができました。美しいメロディを奏でるには陰にたゆまぬ努力があることなどプロの厳しさを感じました。

取材担当 和田良平(高17期) 石渡明美(高23期)
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