神奈川県立横須賀高等学校同窓会 朋友会
【紹介】清水 高師 さん(高23期)
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(取材日:2008年12月16日)

2008年10月21日によこすか芸術劇場で開催された「神奈川県立横須賀高等学校創立100周年記念音楽祭」で神奈川フィルハーモニー管弦楽団、指揮上野正博さん(高37期)と共に素晴らしい演奏を聴かせて下さった清水高師さんにお話を伺いました。

 
 

 

プロフィール
 
1963年 10歳で第17回全日本音楽コンクール全国大会で優勝、N響と共演
 
1968年 神奈川県立横須賀高校入学
 
1970年 第39回日本音楽コンクール 優勝 レウカディア特別賞受賞
 
1971年 神奈川県立横須賀高校卒業
 
1972年 南カリフォルニア大学入学  ヤッシャ・ハイフェッツに師事
 
1972年~ 数々の国際コンクールに優勝又は上位入賞
フランスで開かれた世界の国際コンクール優勝者を集めたコンクールにおいて最優秀グランプリを受賞
 
文化庁よりイギリスに派遣されロンドンに滞在 イフラ・ニーマンに師事
 
ユーディ・メニューイン指揮ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラでデビュー
 
1990年 東京芸術大学助教授に就任 (現在、器楽科教授)
 
2006年縲�
  2007年
オーストリア、スウェーデン、ドイツ、イタリア、カザフスタン、ルーマニアで演奏活動
 
2008年 東京音楽学校第1回定期演奏会出演
オーストリア(主催オストウェスト)、カザフスタン(主催アスタナ音楽祭)、日本でYBP音楽祭(主催YBP実行委員会)に出演
オーストリア、ロシア、ドイツで音楽祭・演奏会に出演
アメリカ、ルーマニアでリサイタルやオーケストラと共演
ルーマニア、イタリアでオーケストラと共演
 
100周年記念音楽祭について

100周年記念音楽祭では素晴らしい演奏をありがとうございました。
横高という学び舎を同じくした方たちの前での演奏ということで特別な思いがありましたらご感想をお聞かせ下さい。

横須賀高等学校100周年記念音楽祭
(横須賀高等学校創立100周年記念音楽祭では、フェリックス・メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64を演奏してくださいました)
演奏中の清水さん

自分が学んだ高校の遥か年下の後輩であり、自分の子供と同じ世代の前での演奏なので、クラシック音楽に対する距離感があると思います。

我々の世代とは全く違う、ボタンひとつ押せば世界の情報がわかるという世代との接点としてのクラシック音楽は難しいな、ということがこういう活動をしているとわかるのです。そんないろいろな思いを抱えながら弾かせていただきました。

<今回の音楽会を聴かせていただいた生徒たちは、いささかなりともクラシック音楽を身近に感じられるようになったのではないでしょうか>
 
ヴァイオリンの世界へ

ヴァイオリンを習い始めたのはいつ頃からですか。
10歳でコンクールに優勝していらっしゃいますが、ヴァイオリンを生涯の伴侶にしようと思われたのは何歳頃ですか?また、ヴァイオリンを選ばれた理由、子供の頃のお話をお聞かせ下さい。

習い始めたのは6歳です。

父がヴァイオリンが好きで、来日した有名なヴァイオリニストの演奏会を聴きに行ったり、よく家でSPレコードを聴いていました。

子供の頃はシャイだったので、幼稚園の時、母が「習い事をしたら人前に出る機会があって良いのではないか」ということで、当時横須賀中央にヴァイオリンを教えにきていらした徳永茂先生について習い始めました。とても厳しい方で基本的なことをしっかり教育して下さいました。

子供の頃は読書と球技が好きで、ヴァイオリンの練習は嫌いでした。

ヴァイオリンを生涯の伴侶にしようと思ったのは21歳です。

高校卒業後、南カリフォルニア大学へ留学されましたが、ハイフェツ氏に師事された動機とエピソード、当時の不安やつらい経験がありましたらお話いただけますでしょうか?

来日中のヴァイオリニストにレッスンを受け、誰に習いたいかと聞かれ「ハイフェッツ」と答えました。すぐにアシスタントから連絡があり、ハイフェッツ氏のオーディションを受け、教えていただけることになりました。

忙しい毎日でしたが、有意義に過ごしていましたので、辛いことはありませんでした。その頃はまだ、将来の職業について音楽家か建築家で迷っていました。

 
海外での想い出

海外での想い出やご活躍の様子などを...

一番の思い出は、ユーディ・メニューイン指揮ロイヤルフィルと共演した時です。

大変ありがたい批評をたくさんいただきましたが、それより楽屋でメニューイン氏が語ってくださった芸術論が素晴らしく大切な思い出でになっています。

イギリスに15、6年住んだ経験があるのですが、初めてイギリスに行った時、小さい子供がみんなヴァイオリンとか管楽器をかかえて学校に通っているのを見て、なんだろうと思いました。小さな街でも、小学校にも必ずオーケストラがあるんですね。また、大学の入試にも楽器が弾けるというのはとてもプラスになります。イギリスでは小さい時から素養というものが作られていて、若い時はロックとか好きなことに行くのですが、熟した年齢になるとクラシックに戻ってくる傾向が多々あります。

小さい頃の教育環境が日本とかなり違いますね。飾らないパーティなどで集まるとチョコチョコっと楽器を弾き始めます。音楽を楽しむという環境がありますね。

世界を回られていて政情が不安定の国もあると思いますが、そういう国で音楽が癒しになっていますでしょうか?

例えば今まで(2008年12月初め)ルーマニアにいたのですが、昔は貧しかったけれど今は落ち着いてきて豊かになってきました。大雪にもかかわらずご年配の方々も来てくださいました。音楽が生きがいだというのがわかります。

ヨーロッパの大きな街にはオペラの劇場があります。ドイツではどんな小さな街にもオペラがあって日常的に楽しめます。

想い出に残るコンサートについて、お話をしていただけますか?

スペインに初めて行った時、演奏会が夜の11時からだと言われて「11時からのコンサートなんて人が来るのかな?」と心配していたのですが、行ってみたら人がたくさん集まっていてびっくりしました。夏に近い時期だったから日中昼寝(シエスタ)をして、夕食を済ませて出てくるので11時頃がちょうど良いのですね。但し、イギリスは寒い国なのでさすがに11時というのはなかったです。

ヨーロッパでは夏の演奏会はたいてい野外ですね。

スウェーデンの音楽祭で演奏したことがありますが、ライトアップされたとても素敵な廃墟で行われたことがありました。夜は冷え込んでくるので毛布が配られて。日本画をやっている娘が、スケッチしながら演奏を聴いていた時、ハリネズミが出て来たこともありました。ローマの遺跡のような感じで雰囲気もよく音響も非常に良くて、有名なアーティストもたくさんコンサートをしているようです。

 
審査員や指導者としても
指導者としていろいろなコンクールで審査員をなさったり、第5回大阪国際音楽コンクールでは「最優秀指導者賞」受賞されていますね。
そして、国内外でたくさんの演奏家を育てておいでですがご指導方針のコンセプトをお聞かせ下さい。

審査員はいろいろやっています。
昨年はロシアで行われた「チャイコフスキー国際コンクール」で審査員をしました。

*「チャイコフスキー国際コンクール」は、権威・レベルとも最高峰とされる三大国際コンクールのうちの一つである。

若い世代の音楽的な傾向とか教える側の傾向がつかめるので勉強になります。
その時代のトレンドがあるので、それを自分の生徒たちにも伝えていかなければと思います。
芸術は個々のものですから、生徒一人一人の個性を伸ばすことに専念し、同じ曲でも全く違うアドヴァイスをします。

音色は人生を重ねるごとに変わっていくのでしょうか?

ヴァイオリニストにとって求める音色というものが必ずあると思います。それがすべてです。歌手が一声を放った時に人を魅了することができるように、ヴァイオリンも同じ、ひとつのヴォイスが独特な声を得たいと思って生涯努力するのではないでしょうか。

それが私の指導のコンセプトです。個人個人の資質も違って、体つきも違うから、同じ手の形もないし、同じ音が出るとは限らない。性格の違いもあるし、その子にとって最高の音質を得て欲しいというのがコンセプトです。

そのための技術は、大変時間のかかることですが、大切なことです。ヴァイオリンを汚い音で弾くのは耐えられません。独特の美しい音で弾くのが一番大切なことです。

 
演奏活動

国内外で、多数の演奏活動をしていらっしゃいますが、年間どのくらいの数をこなされていらっしゃいますのでしょうか?

大学で許される範囲ですので、その年によって違います。

明後日からウクライナにまいりますが、日本の大学で教えている関係で、演奏会可能日が少ししかありません。それで殆どを海外の演奏会に充てています。

今後のコンサートの予定は...

1月オーストリア、2月ウクライナ、3月モンテネグロとU.S.A.、4月韓国、5月U.S.A.、7月イギリス、8月オーストリア、9月ドイツ、10月ドイツ、11月ルーマニアとスイス、12月ルーマニアとイタリアです。(2009年の予定です)

 
ヴァイオリンの魅力

ヴァイオリンの魅力についてお話ください
歌うのが容易な楽器だからです。




愛用のガダニーニー
 (注) <証明用の写真を使用したため、頭の部分が撮影されておりません>

 
~音楽評論家の言葉からもそのことが伺えます~
清水高師の演奏は技術的にも高い次元で、いつも安定しているということができよう。
テクニックの面からだけ言うならば、今まで筆者は清水が本番で乱れたのをほとんど聴いたことがなく、ちょっとした音程ミスすらほとんど見せずに奏するのであり、その点、我が国の数多いヴァイオリニストの中でも、筆頭にあげるべき存在と言えよう。
         ... 中略 ...
このディスクのパガニーニでも清水高師は崩れを見せずに奏している。そして爽やかな歌を歌っている...
  註:「パガニーニ・24のカプリース」のCD、長谷川武久氏のコメントの一部から引用させていただきました。
~2005年12月の神奈川フィル定期演奏会の記事から引用~

ヴァイオリンの清水高師とピアノのパーヴェル・ギリロフのデュオは息のあったコンビだ。清水の演奏姿勢はオーバーアクションを排し、背筋を比較的正した状態で体全体を無駄なく使って弓の圧力をコントロールするもの。アンサンブルはきわめて豊かでみずみずしい。

ヴァイオリンは健康ならば生涯弾けるのでしょうか?

ヴァイオリンは心臓から上で演奏する楽器なので心臓が衰えてくると大変になってきます。健康であれば80歳を越えても素晴らしい演奏をする方もいらっしゃいます。

毎日のレッスンは欠かせません。一日弾かないと動かなくなります。手だけてなく、全身が一体となって動いて焦点が合ってくるのですが、一日弾かないとうまく噛み合なくなってくるのが自分ではっきりわかります。本当に良く弾ける時には、焦点がそこにパッと合っている感じはあります。

逆にどんなに偉い人が弾いても調子が悪い時は何をやってもダメということもあります。常にシェイプ(調子)を保つということが大切だと思います。

そのための健康法は?

最近自宅の周りをジョギングしております。

元々運動は好きで、若い頃はよく卓球をしていました。

音楽以外のご趣味は? 又 音楽家にならなかったら」どんな人生をおくっていたとおもわれますか?

ウィーン分離派のセラミックの美術品が好きでもう何十年も集めています。装飾に金を使ったスタイルがこの時代の特色です。元々建築にも興味がありました

*ウィーン分離派(1900年代の美術運動で、画家のクリムトが中心になって立ち上げた。以前の生活スタイルから脱却するのを目指した)

私は音楽家の友人より 建築家の友人の方が多く、また画家、写真家、デザイナー、舞踊家など私を取り巻く友人関係はほぼ同じだったのではないでしょうか興味のあった建築専門学校は英国のエーエーで、やはり英国で学び同じように生活していたのではないでしょうか。

妻は建築家と結婚するつもりでいましたので家庭も同じです。

 
横高時代の思い出

横高時代の思い出は?
上から2段目左から3人目が清水さん
下段 学年主任 堀江先生と担任 秋山先生

学校をさぼってばかりで先生方にご迷惑をおかけしましたが、器の大きな温かい先生が多かったと思います。

学校には、出席日数ぎりぎりしか行っておりません。クラブは入っていませんでした。

担任の秋山先生にはご迷惑をおかけし、思い出と言えば「学校にこいよ」とよくお電話いただいた事です。

 
横高の後輩へ、音楽家を目指して勉強している方へのメッセージ

横高の後輩へ、音楽家を目指して勉強している方へのメッセージをお願いします。

横須賀は有名な音楽家を沢山輩出しております。

海あり、山あり、太陽の光が南仏のようです。できるだけ長く横須賀に留まり、豊かな自然のなかで学ばれるのが芸術を目指している方には大きな力になると思います。

 
編集後記
左から里見、清水さん、石渡
12月の半ば、ルーマニアから帰られたばかりの清水先生にお話を伺うため、半蔵門のサロンにお邪魔しました。
世界的に有名なヴァイオリニストということで大変緊張していたのですが、演奏されている時とはまた違った雰囲気で、穏やかに優しくお話し下さいました。
お忙しい中ありがとうございました。

石渡明美(高23期)

            

ヴァイオリンといえば、ピーンと張られた弦と譬えがたいような美しい音色が、近付きがたい雰囲気を醸し出しているようで、この楽器を意のままに操られる方に、いささかの畏怖の思いを持ってのインタビューでした。
しかし、6歳からの人生を、音楽と共に歩まれ研かれていらした方の豊かな輝きを聞かせていただき見せていただくことが出来ました。
芸術家、特に音楽家を目指されている若き世代の同窓生が、この記事を読んで未来の目標の一つとしてくださることを清水高師さんと一緒に期待させていただきます。

里見絢子(高9期)

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