(取材日:2008年4月23日) | ||
プロフィール | |
昭和54年 | 逗子市立久木中学校卒業 | |||
昭和57年 | 県立横須賀高等学校卒業 | |||
平成 2年 | 順天堂大学 医学部卒業 同整形外科教室入局 (順天堂医院・順天堂浦安病院・山梨県立中央病院などにて研修) |
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平成 4年 | 静岡県 共立蒲原病院 整形外科 勤務 | |||
平成 6年 | 横浜市立港湾病院にてスポーツ医学研修(専攻生) | |||
平成 7年 | 葛南病院(現浦安市川市民病院)整形外科 勤務 | |||
平成 8年 | 東京都教職員互助会 三楽病院 整形外科 医長 | |||
平成 9年 | 三郷純心病院 整形外科 勤務 | |||
平成10年 | 順天堂浦安病院 整形外科 勤務 | |||
平成12年 | 順天堂医院 整形外科 勤務 | |||
平成13年 | 吉方病院 整形外科 勤務 | |||
平成15年 | 順天堂医院 リハビリテーション科 勤務 | |||
平成17年 | 吉方病院 整形外科 勤務 | |||
平成18年 | 高澤整形外科医院 開業 |
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整形外科医を目指した動機と今までの経緯 | ||
小学校よりラグビーを始め、ラクビーの名門高校への進学を考えたこともありました。 横高に入学し、当然のごとくラグビー部に入部。当時はまだ医学部に行くという目標は全くなく、早稲田大学でラグビーをやりたくて、教育学部と理工学部を受験しましたが、横高時代はラグビーと体育祭に明け暮れ、受験勉強は二の次でしたので、当然の如くの結果となり、その後二年間の予備校通いとなりました。 浪人中に進路変更し医学部を目指すことになりましたが、順天堂大学は入学するまで全寮制とは知りませんでした。学部は医学部と体育学部のみの小さな大学で、女子は数名しかおりませんでした。 学校内に寮があったため、Tシャツ・短パンが制服の様になっており、通常の華やいだキャンパスライフとは程遠いものでしたが、ここでの数多くのスポーツ選手達との出会いが、スポーツ医学を志す要因の一つではないかと思います。
父親も整形外科医、スポーツ外科医をしており結果として自分も同じ道を歩んでいます。 平成2年より整形外科医となり、各地で研修をすると共に、平成6年より形は異なりましたが幼少期より憧れていた早稲田大学ラグビー部のメディカルスタッフの一員となり、その後、ラグビー高校代表NZ遠征・U19ラグビー世界大会の遠征にメディカルスタッフとして帯同する機会を得ました。平成14年からは、清宮監督の下で、早稲田大学ラグビー部のチームドクターとなり、3度の大学日本一に加えトップリーグ(社会人)を倒すという快挙にも立ち会えました。 現在もトップリーグのクボタスピアーズラグビー部はじめいくつかのチームドクターを務めています。 この様な現場での経験を生かし、平成18年に各種運動療法を中心とした、整形外科医院を開院しました(高澤整形外科醫院 http://www.takazawa-seikei.com/)。
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当医院の信条は | ||
通常医院では、患者の治療は注射や薬の服用ですが、当医院では、私のこれまでの順天堂大学および関連病院での臨床経験(骨折など外傷一般、膝靭帯損傷・肩関節脱臼などのスポーツ外傷、変形性膝関節症など)、ラグビーの代表や大学、トップリーグのドクターとしての現場経験を生かし、従来の受動的な医療(内服・注射・物理療法)から人間が本来持つ自然治癒能力を引き出せるようさまざまな手法(各種運動療法)を用いスタッフ一丸となり、みなさまの健康生活へのお手伝いをさせていただければと考えています 。 |
早稲田大学ラグビー部チームドクターとして後輩選手の思い出は | ||
横高の後輩選手が大学選手権等で活躍する姿を見て、大いに感激しました。 特にNHKの選手紹介時に出身高校名が掲載されますが、県横須賀と出た時などは、何か誇らしく感じました。
横高出身者は全部で5名おり皆印象深い選手ですが、特に印象に残った選手としては、池上・臼井の2選手です。 池上選手は当初国立大学への進学希望でしたが、早稲田大学ラグビー部の現役高校生を対象としたサマースクールというものがありまして、昼間はラグビーの練習・夜は早稲田大学の入試等についてのガイダンスがあり、そこへの参加をきっかけに志望校を早稲田大学に変更し、難関を突破し池上選手は早稲田大学に入学した訳です。 並居る高校代表クラスの選手らを押しのけ1年生から試合に出場していました。3年生の時には怪我により1年間試合には出る事が出来ませんでしたが、頑張って治療に取り組んだ結果4年生ではレギュラー選手として、活躍し見事大学日本一に輝きました。横高時代 彼と一緒に練習していた後輩達が刺激され、その後数名、早稲田大学ラグビー部に入って来ました。その中のひとりが臼井選手です。彼は大学入学後ポジションを変え長い下積みもありましたが、日常の頑張りの結果、4年生でやっと花開くといった感じで最終学年ではレギュラーとして体を張ったプレーが見ごたえの選手でした。彼もまた大学日本一になっており、二人とも現在はトップリーグでラグビーを続けています。
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横高時代の思い出は 恩師は | ||
横高時代はラグビーに体育祭にと、とにもかくにも楽しい思い出ばかりでした。(と言うよりつらいことは覚えていません、もちろん勉強もほとんどしませんでしたし) 当時は、毎年体育祭、3年に1回文化祭があり、クラス替えが無かった為1年~3年までが同じメンバーのためクラス毎の纏まりがあり特に体育祭ではでは大いに盛り上がりました。同期の他のクラスの人達との交流はあまり無くても、顔を見て話をすれば、ああ誰々と判る程度でした。 なにしろ、ラグビーと体育祭に明け暮れていたので、その他についてはあまり思い出せないのが現状です。 心に残っている恩師としては、ラグビー部の顧問だった吉川先生・上遠野先生、クラス担任だった石塚先生等には大変お世話になった記憶が今でも鮮明に残っています。
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横高校生に望むことは | ||
何かにつけ、なんとなく皆で集まって楽しく過ごす事が多かった我々の時代と違って、今の横高生は真面目だと思います。 母校に近いせいか、横高生が診療に通ってくれますが、診察室で診察を待っている間にも、教科書や参考書を広げて勉強をしています。(たまに弁当を広げている子もいますが) 高校時代は二度とないので、皆で楽しく過ごし、友達を数多く作り、健康に気を付け、特に怪我により一生を棒に振ることもあるので怪我の無い様に気を付け高校生活を楽しんで下さい。 私は長年スポーツドクターとして、スポーツ現場で働いていましたが、何ら特別な治療をしていたわけではありません。リハビリをして万全の状態で復帰をさせることや、次の怪我の予防に努めていました。 後輩達が、健康に留意し大きな怪我も無く、スポーツを楽しみながら、勉学に励み、横須賀高校のモットーである「文武両道」を全うして下さい。これが母校への最高の恩返しではないでしょうか
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取材後記 | |
医院に取材 で訪問し、先ず驚いた事は、白衣を着た先生が現れるものとの潜入感があったのですが、院長先生を始め医院スタッフ全員の制服がラガーシャツを着用しているのに、ビックリした。 <取材 饗場 元二(高10期)、 小野関 浩(高11期)> |