(取材日:2002年6月14日) | ||
ハイテンションと生活感の両立した | |
不思議なアナウンサー | 冨田憲子さん (高48期) |
...ニッポン放送「高嶋ひでたけの お早よう!中年探偵団」担当... |
プロフィール
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横高時代の思い出は? | |
横高時代は、バスケット部に所属していました。当時は、1年上の先輩達が強かったですね。夏合宿の時、まだセミナーハウスが出来ていなかったので、教室に机を並べてその上に布団を敷いて寝ました。とても蒸し暑く寝苦しかったのですが、今では懐かしい思い出です。 一番の思い出は、校内球技大会(サッカー・バレー・卓球)で総合優勝したことです。どの種目も決して強いチームではなかったのですが、クラス全員が一つの目標に向かい一致団結して、皆の心が一つになるということのすばらしさを味わいました。私はサッカー・バレー・卓球の全てに出場しました。 在学中は、勉強していたことよりも運動をしたり(特に卓球)、体育祭・文化祭などでクラス全員がまとまって活動していたという記憶が強く残っています。このことが球技大会での総合優勝につながったのでしょうね。 当時は、よく7人の仲間で行動していました。自習時間(2時間も続けば)になると、衣笠IC近くの「ガスト」までお茶をしに行きました。7人の内1人が自転車に乗れず、6人が交代で乗せて行ったのですが、行きは上り坂で汗だくになったことを覚えています。 もう一つは、1年間の遅刻が確か65回という記録をつくったことです。もうちょっと早く家を出ればいいのですがのんびりやなのといいわけですが、担任の先生が出席を取るのがすごく早かったのです。始業時間が近づいても、他のクラスの人達はユックリと歩いているのに、私達のクラスだけは、「ハアハアー」言いながら教室へ走って行きました。でも、自分の名前を呼ばれた後で教室へ入ると遅刻扱いでした。出席を取っている間ならば遅刻にはならないのが普通だと思うのですが? まあ、今となっては、これも懐かしい思い出です。 今、高校の統廃合が進んでいますが、母校がずっと存続しているというのは、大変嬉しく幸せなことですね。自分の今までを振り返ってみると、あの横高時代が一番楽しくて、充実した時期だったのではないかと思えます。 |
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文化祭にて(中央) |
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<高校時代> |
アナウンサーの志望動機は? ─教育学部の出身なのに─ | |
大学の同期の人達はほとんどが教師になりました。私も教師になるつもりで、教員免許も小・中・高と全て取得しました。教育実習は実家近くの高坂小学校で経験しました。
ある時、父の知人の息子さんがCSのアナウンサーとして活躍しているその姿を見て楽しそうだったのが、アナウンサーの志望動機です。人と話すことが楽しくて、おしゃべりだったのも動機の一つだと思います。 きれいな言葉がしゃべれるよう、あがり症なので人前でうまくしゃべれるよう在学中に日テレ・アナウンスカレッジに通いました。 高校・大学時代は理系科目が好きで、理系総合職の就職も考えましたが、ニッポン放送への就職が内定したので、アナウンサーの道を歩むことになりました。 |
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「中年探偵団」の担当はいつから どんな理由で? | |
今年の1月からです。2年9カ月間担当していた前任者の方が、体調をくずされて続けられなくなったので、急遽交替となったわけです。
今でもちょつと理解しがたいのですが、本来ならば「今度、何々の番組の担当」との内示があるはずなのに正式な話は一度もなく、何となく担当になってしまいました。局内で後任者を選考している時に、周囲の人達から「近々『中探』の担当になるらしいよ」との噂話がチラホラ。私自身は何も聞いていないので「ウソでしょう」くらいにしか思っていなかったら、CMの録音をするからスタジオに来てほしいとのこと。スタジオに行くとそこに高嶋さんがいるではありませんか。その場では「まだ正式な話はないのですが、もしかすると『中探』の担当になるかも知れませんので、宜しくお願いします」と挨拶しました。そして正式な発令がないまま、1週間後に高嶋さんと組んで放送することになったのです。 面白いというか不思議というか、「中探」の担当ディレクター桜井達也(高39期)も横高→上智へ。一つの番組で同じ高校出身者が3名関わっています。 |
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「中年探偵団」の横高トリオ 右 高嶋秀武 高13期 中 桜井達也 高39期 左 冨田憲子 高48期 |
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放送中の失敗談は? | |
いっぱいあります。
放送が早朝なので、舌がよく回らないときがあって、よくつっかえたりします。また人名や地名の読み方は変わった読み方があって難しいですね。 番組の中で音楽を流すことが多いのですが、アーティスト・曲名を紹介する際、「EPO(エポ)の"ウフッフッフ"」を「イー・ピーオーのウフフフフ」と紹介したことがあります。それから、「高嶋ひでたけのはみだし見聞録」を「はめだし見聞録」と紹介してしまったりと、失敗談には事欠きません。 |
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一日の過ごし方は? ─3時起床・4時出社・9時就寝─ | |
放送開始が6時なので出社するのは4時。現在は品川に住んでいますが、午前3時には起きます。3時30分に迎えの車が来て、お台場の会社へ出社。まず新聞各紙に目を通して、その日の話題などをチエック。5時50分にスタジオに入り、放送開始に備えます。その後、8時30分の放送終了迄はスタジオに缶詰状態です。 番組終了後はたいていスタッフと一緒に食事を取ります。その後戻ってメール等のチェツクをし、「憲子の日記」の更新をします。 午後は原則としてフリーな時間となりますが、ニッポン放送はイベントが多くて、それらの司会をすることも結構あります。何もない時は、映画を見るなどして番組の中の話題を探して過ごします。たまに、横高時代の友達との食事を楽しむこともありますが、時間がなかなか合わないことが多いですね。就寝は夜9時ごろ。これが私の平均的な一日です。 今一番困っていることは、飲み会・カラオケなどで、これから佳境に入るという時間に席を立たなければならないことです。たまには羽目を外すこともありますが無茶は出来ません。TVと違い顔が映らないので、夜更かしをしても肌の荒れなどは判りませんが、声は誤魔化すことは出来ないので、その点は充分注意しています。 この仕事は体力勝負です。バスケットで体を鍛えたことが今役立っています。これまで、「中探」を担当したスタッフは、通常と生活リズムが違うので、耳鳴りに悩まされる人が多かったようですが、私は全くありません。それから、体重が減ると聞いていてちょつと期待していたのですが、全く変わりありません。むしろ太ったくらいです。 生放送ですので、体調維持に気をつけて生活をしているつもりですが、一人暮らしのため食事が偏り勝ちですので、週末に実家へ帰り母の手料理を食べるとホットします。 |
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高嶋さんてどんな人? | |
コメンテーターの方との打ち合わせも、当日の朝です。朝の少ない時間で、全ての新聞に目を通して、どんなに難しいニュースも分かりやすくお聴きの方に伝えられる、その素晴らしさに毎朝感動しています。
また、交友関係も非常に幅広く、こんな方ともお付き合いがあるのかとびつくりすることがたびたびです。そういうところから豊富な話題を蓄えていらっしゃるのでしょうね。 また、どんな小さなことにもでも興味を示すという好奇心の旺盛さ、ほんの小さな事をとっても面白い話題に仕立て上げてしまう、その話術には感嘆するばかりです。 |
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ニッポン放送「高嶋ひでたけの お早よう!中年探偵団」もよろしくね!! 「憲子の日記」読んでくださいね! |
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現在の番組の取り組み、将来の夢は? | |
「中探」の放送時間は2時間30分ですが、私と高嶋さんとの間では事前の打ち合わせは一切ないので緊張の連続です。放送中は高嶋さんとのやり取りで番組の雰囲気を壊さないよう気をつけています。
午後のフリーな時間は、話題集めに当てています。今の旬の話題は何かと、常にアンテナを張っています。そのためには、展覧会やコンサートなども実際に見たり聞いたりしておかなければいけませんね。 |
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横高生に望むことは? | |
横高生は個性豊かな人が多いと思います。その個性を伸ばした先輩達が各分野で活躍されています。
私も高校時代、たくさん勉強したとはいえませんが、数学が好きだったので、数学の勉強にあてる時間が多かったように記憶しています。 この職業についてからは、当たり前ですが国語力の必要性を痛感しています。高校時代にもっと本や新聞を読んでおけば良かったと少し後悔しています。番組の中でお便りを読んだり、コメンテーターの方とお話をする時に、国語力(漢字・熟語や様々な言い回し・論旨は何か)の大切さを実感します。 それから、つい最近、信濃屋書店に行って横高で使用している日本史の教科書を買ってきました。高校時代は、数学や理科の勉強ばっかりで、社会科の勉強はあまりしなかったのですが、いろいろな問題を考えていく際に、過去の歴史的事実や背景についての知識が必要だと思うことが多々あるので、ぽつぽつ勉強を始めました。 今の横高生の皆さんには、様々な勉強や部活動や学校行事に一生懸命に取り組んで、それぞれの個性を大いに伸ばし、卒業後に各分野で大いに活躍されることを期待しています。 |
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「高嶋秀武さんからの応援メッセージ」
ニッポン放送に横高出身の女子アナが入ったと聞いていたが、縁があって今年の一月から一緒に仕事をするようになった。 当初は私も大変戸惑った。話題が全くかみ合わないのだ。なにしろ番組を聴いている人達にとって説明の必要がない事柄でも冨田くんは全然知らなかったりする。まるで家庭内で父親が娘に対して感じる世代の断絶のようで本当に困った。まあ、冨田君は自分の娘より若い世代なので「中年探偵団」という中・高年世代をメインの聴取者にする番組では最初から仕方のないことであったのだが・・・ 冨田君はとにかくよく笑うひとである。誉められて笑い、けなされて笑い、彼女の顔を思い出すとき笑顔しか浮かんでこないほどだ。 周りの人たちに訊くと彼女は大変な努力家であるらしい。いろんな人に意見を求め反省の日々であるという。 考えてみると年頃の彼女にとって早朝の出社を余儀なくされるこの番組は気の毒の極みである。楽しみを抑えて夜は早く帰り翌日に備えなければならない。その上、新人である以上、仕事をしてもあまり誉められるということもない。 横高の卒業生の皆さんが冨田君にとって最大の味方だろうと思う。時には落ち込んでいるであろう彼女をぜひ力づけてやって頂きたい。 |
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<インタビュアー雑感>
とっても明るくて、利発・闊達なお嬢さん(!?)です。さまざまな問題に興味・関心を持ち、そして自ら勉強していこうとする、その好奇心の強さ・積極性がこれからの彼女の成長・飛躍を約束しているかのような印象を持ちました。 インタビューの後、ささやかな食事会を設けましたが、その場での気配り・心遣いも相当なものでした。ニッポン放送のアナを見る目は確かです。 ! ! 小野関 浩(高11期)、西村 和之(高31期) |