傘寿の会を行ったとき、「米寿」の時にまた皆で集まれるようにしようとの発言があり、この一言が今回の開催を実現させた。
4期に因み、「令和4年4月4日」観音崎京急ホテルに集う者19名。生憎の天候にも係わらず浜松から岡崎君、川越から肥後君が参加した。山倉君の総合司会で始まり、亡くなった同期の霊に黙とうを捧げたのち、斎藤君の開会の挨拶、鈴木(全)君の乾杯後しばらく会食と歓談でひと時を楽しんだ。岡崎君、肥後君から近況の報告あり、初めて会に出席した黒瀬君、野上君、山本君からも近況報告があった。最後の締めは広瀬君のリードで「校歌坂東武者」を歌いエールを行った。
卒寿、白寿の言葉があるが、健康で生活できる日々を大切に過ごすことを祈念し、会をお開きにした。
[出席者]
猪俣・岡崎・片岡・黒瀬・小林・斎藤・白井・鈴木(明)・鈴木(全)・武井・田中・野上・肥後・広瀬・山倉・山田・山本・臼井・阿部
文責 阿部昭一