平成25年末も押し迫った12月20日に23期部員米津、小笠原、服部の3名が人形町に集結し、昨年の長野合宿から一周年を祝った。
「長野合宿」、それは「君付けで呼べる仲間」と言う一言で始まった。23期部員はこの年還暦を向かえ、今まで企業戦士として我武者羅に仕事をしてきた人生を振り返る好機となった。そして、自然と昔同じ部で青春期を過ごした仲間と連絡を取り合うようになった。そんな中で長野合宿が計画され、そして実行に移された。長野合宿は現在長野市内に居を構える松井君を訪ねる旅でもあった。昨年11月10日に東武東上線坂戸駅に集合した元部員は車で一路長野市へ。長野合宿の計画段階では沢山のメールが飛び交い、まるで修学旅行を前にしてはしゃぐ子供の様な様相を呈していた。長野市に着いた一行は松井君宅にお邪魔する。そこには松井君と横須賀大津出身の奥様の笑顔が待っていてくれた。
松井君を案内役として一行は小布施へ。古くは幕末の豪商高井鴻山が招いた葛飾北斎、佐久間象山や小林一茶等当時の一流文人との交流の地であり、今は栗と北斎の花のまちとして知られる小布施で深まり行く長野の秋と栗おこわを堪能した。車中では各自が話す自分が辿った道の話に花が咲いた。車は山道を抜け、北信州の絶景を望む天空の秘湯・望郷の湯と称される馬曲温泉へ。昭和初期の風情を残す温泉宿の一室で思い出話とともにその夜は更けていった。翌朝は天照大神が隠れた天の岩戸の扉をスサノオの命投げ捨てた場所との伝説が残る戸隠を巡る旅へ。蕎麦の食べ比べと自分の足で山岳道の走破を試みた。最後に善光寺に詣でて、再会を誓った。そして松井君に別れを告げ帰路に着いた。
それから一年余り、来春には新しく開業する北陸新幹線に乗って行く新たな長野合宿が提案されている。元部員の皆さん、次期長野合宿に参加しませんか? これから私たちと楽しい思い出を沢山作りましょう。
「長野合宿」、それは「君付けで呼べる仲間」と言う一言で始まった。23期部員はこの年還暦を向かえ、今まで企業戦士として我武者羅に仕事をしてきた人生を振り返る好機となった。そして、自然と昔同じ部で青春期を過ごした仲間と連絡を取り合うようになった。そんな中で長野合宿が計画され、そして実行に移された。長野合宿は現在長野市内に居を構える松井君を訪ねる旅でもあった。昨年11月10日に東武東上線坂戸駅に集合した元部員は車で一路長野市へ。長野合宿の計画段階では沢山のメールが飛び交い、まるで修学旅行を前にしてはしゃぐ子供の様な様相を呈していた。長野市に着いた一行は松井君宅にお邪魔する。そこには松井君と横須賀大津出身の奥様の笑顔が待っていてくれた。
松井君を案内役として一行は小布施へ。古くは幕末の豪商高井鴻山が招いた葛飾北斎、佐久間象山や小林一茶等当時の一流文人との交流の地であり、今は栗と北斎の花のまちとして知られる小布施で深まり行く長野の秋と栗おこわを堪能した。車中では各自が話す自分が辿った道の話に花が咲いた。車は山道を抜け、北信州の絶景を望む天空の秘湯・望郷の湯と称される馬曲温泉へ。昭和初期の風情を残す温泉宿の一室で思い出話とともにその夜は更けていった。翌朝は天照大神が隠れた天の岩戸の扉をスサノオの命投げ捨てた場所との伝説が残る戸隠を巡る旅へ。蕎麦の食べ比べと自分の足で山岳道の走破を試みた。最後に善光寺に詣でて、再会を誓った。そして松井君に別れを告げ帰路に着いた。
それから一年余り、来春には新しく開業する北陸新幹線に乗って行く新たな長野合宿が提案されている。元部員の皆さん、次期長野合宿に参加しませんか? これから私たちと楽しい思い出を沢山作りましょう。
(文責 高23期 服部 )