高31期というと、10クラス編成となり、1年生の時の体育祭は1カラー(黄色)に7組と10組の2クラスが押し込まれ、3年生になって10カラー編成となり、「銀」を1組が立ち上げ、修学旅行は前の学年まで2回あったものが1回となり、さらには共通一次試験が始まりと・・・そんな世代のシンガリであった我がクラス。卒業したその年から1年も欠かさず毎年クラス会を開催。この35年間を支えてきたのはクラスの女性陣のマネージメント力によるところが大です。
会場は昨年好評につき今回も横須賀中央駅近くの居酒屋直きち。決して幹事の手抜きではありません(笑)とのことでした。担任であった岩田宏先生は平成15年に亡くなられるまで、お顔を見せてくださっていたことなども思い出しつつ、今年も20名近くが集まりました。
日本全国をはじめ海外にまで勤め先の関係で離れているクラスメートも帰省などの折に毎年開催のお蔭で、どこかの年には顔を合わせることができるというもの。今回も久しぶりの出席者がありました。双方で質問タイムで盛り上がったり、また、ここ数年、クラス会を機に再会したメンバーと旅行に行こうという話も持ちあがるようになり、今年2月に山のホテルに宿をとり箱根へ行った報告などもありました。
名残はつきず、ほとんどの出席者が二次会へ向かい、横高時代の思い出話に花を咲かせました。毎年話してもネタはつきないもので、「あれはどうだったんだっけ?」と記憶が曖昧な所を誰かが覚えていて埋めてくれる。そんなひと時も楽しく、今年も来年に持ち越しの話題ができて、それを覚えているであろう次なる出席者を待ち焦がれることとなりました。
会場は昨年好評につき今回も横須賀中央駅近くの居酒屋直きち。決して幹事の手抜きではありません(笑)とのことでした。担任であった岩田宏先生は平成15年に亡くなられるまで、お顔を見せてくださっていたことなども思い出しつつ、今年も20名近くが集まりました。
日本全国をはじめ海外にまで勤め先の関係で離れているクラスメートも帰省などの折に毎年開催のお蔭で、どこかの年には顔を合わせることができるというもの。今回も久しぶりの出席者がありました。双方で質問タイムで盛り上がったり、また、ここ数年、クラス会を機に再会したメンバーと旅行に行こうという話も持ちあがるようになり、今年2月に山のホテルに宿をとり箱根へ行った報告などもありました。
名残はつきず、ほとんどの出席者が二次会へ向かい、横高時代の思い出話に花を咲かせました。毎年話してもネタはつきないもので、「あれはどうだったんだっけ?」と記憶が曖昧な所を誰かが覚えていて埋めてくれる。そんなひと時も楽しく、今年も来年に持ち越しの話題ができて、それを覚えているであろう次なる出席者を待ち焦がれることとなりました。
(文責 岡花弘幸 )