横中34期同窓会「秋の昼食会」を秋晴れの天候に恵まれた本年10月12日(金)に開催した。
会場は横須賀中央モアーズシティーの日本料理「旬泉坊」出席者は21名であった。
12時過ぎ、吉崎明幹事の挨拶に始まり、先ず24年8月までの逝去者六名に対し黙祷、次いで、土川氏の音頭で乾杯後昼食会が開始された。
会は自己紹介を兼ねて一人づつのスピーチ形式で行われた。
例会の如く自己の体調や横中時代の思い出話ばかりではなく、国の内外の政治経済混迷の打開と同時に、国民一人ひとりが担うべき責務意識を高める政策に関するものや、最近、横須賀市の魅力がやや薄れ、人口も除々に減少傾向にある実情に鑑み、街興し活性化を図る政策実行が急務等々、自らの所信を述べるといった特色あるものもあり、皆それぞれに本人・家族の体調不如意を抱えながらも、気力だけはしっかりと、世情の動きにも関心を持ち、充実した人生を過ごしていることがうかがえるスピーチが続けられた。
昼食会会場には土川泰信氏が2009年5月に明徳出版社から発刊した「呆堂 土川泰信漢詩集」の中の、平成16年8月作「横中同窓会に寄す」の一節を岩井建樹氏が額縁入り「書」にして展示してあり、その経緯が紹介された。
漢詩の一小節に「凡百は世間に尽くし、英才は歴史に遺る」とある。吾々34期は日米開戦間近の緊迫した年に入学し、厳しい戦時下にあって学業時間も少なく、勤労奉仕・動員に明け暮れ、正式な卒業式も無く、戦後の荒廃の中を必死に生き抜いて来た。そして漸く復興成り、やがてわが国が経済大国へと驚異的発展を遂げる原動力として、小柴昌俊氏のように歴史に遺る英才ではないが、大いなる貢献に尽力した、我が来し方を回想し感慨深い。
最後に、吉崎明氏から吾々横中34期は、今なお現役で、司法、医師、貿易および自営業として活躍している会員もおり、戦前・戦後を通じて、横中出身の名に恥じない有意な役割を果たして来た特色ある存在である。
この活力をいつまでも保持していく糧として、私は今後共引き続き、昼食会や旅行会を計画的に実施する労をとっていきたいとの決意が述べられ、出席者全員の大きな拍手をもって、氏の同窓会にかける情熱を讃えた。
そして、恒例の校歌合唱、一本締めの後、お互いに元気で再会を約す堅い握手交わし、84歳になっても同窓会に出席出来るこの幸せを、あらためて噛み締めながら帰途についた。
会場は横須賀中央モアーズシティーの日本料理「旬泉坊」出席者は21名であった。
12時過ぎ、吉崎明幹事の挨拶に始まり、先ず24年8月までの逝去者六名に対し黙祷、次いで、土川氏の音頭で乾杯後昼食会が開始された。
会は自己紹介を兼ねて一人づつのスピーチ形式で行われた。
例会の如く自己の体調や横中時代の思い出話ばかりではなく、国の内外の政治経済混迷の打開と同時に、国民一人ひとりが担うべき責務意識を高める政策に関するものや、最近、横須賀市の魅力がやや薄れ、人口も除々に減少傾向にある実情に鑑み、街興し活性化を図る政策実行が急務等々、自らの所信を述べるといった特色あるものもあり、皆それぞれに本人・家族の体調不如意を抱えながらも、気力だけはしっかりと、世情の動きにも関心を持ち、充実した人生を過ごしていることがうかがえるスピーチが続けられた。
昼食会会場には土川泰信氏が2009年5月に明徳出版社から発刊した「呆堂 土川泰信漢詩集」の中の、平成16年8月作「横中同窓会に寄す」の一節を岩井建樹氏が額縁入り「書」にして展示してあり、その経緯が紹介された。
漢詩の一小節に「凡百は世間に尽くし、英才は歴史に遺る」とある。吾々34期は日米開戦間近の緊迫した年に入学し、厳しい戦時下にあって学業時間も少なく、勤労奉仕・動員に明け暮れ、正式な卒業式も無く、戦後の荒廃の中を必死に生き抜いて来た。そして漸く復興成り、やがてわが国が経済大国へと驚異的発展を遂げる原動力として、小柴昌俊氏のように歴史に遺る英才ではないが、大いなる貢献に尽力した、我が来し方を回想し感慨深い。
最後に、吉崎明氏から吾々横中34期は、今なお現役で、司法、医師、貿易および自営業として活躍している会員もおり、戦前・戦後を通じて、横中出身の名に恥じない有意な役割を果たして来た特色ある存在である。
この活力をいつまでも保持していく糧として、私は今後共引き続き、昼食会や旅行会を計画的に実施する労をとっていきたいとの決意が述べられ、出席者全員の大きな拍手をもって、氏の同窓会にかける情熱を讃えた。
そして、恒例の校歌合唱、一本締めの後、お互いに元気で再会を約す堅い握手交わし、84歳になっても同窓会に出席出来るこの幸せを、あらためて噛み締めながら帰途についた。
(浅田 巌 記)