例年の5期同窓会も今年は6月4日(金)に開催。
会場は4年ぶりに横須賀のセントラルホテル5階だったが、出席者はかなり多くて59名。その為、記念写真は1組~8組を二手に分けて撮るなど、多少、時間をかけたのは珍しい。
3時過ぎ、会を始めるに先立ち、青島康郎君の伝えた5期の物故者91名に対し、全員が黙祷・・・。
想えば、〝喜寿〟を迎える今年の我々にとって、今後、徒に長寿を望むだけでなく、悔いのない日々を過ごしたい。今回も〝欠席〟の返信に、「体調が優れず」を伝える数人が居られると聞けば尚更に。
さて、司会は3組の畔栁妙子さんと6組の池上康彦君。幹事代表として髙梨壽子さんが挨拶され、橋本敦生君が〝乾杯〟の音頭をとられれば、いよいよ〝懇談〟の場へと案内がされる。
先ず、各テーブルからは他のテーブルの友人へと移動が始まり、お酌して各自の近況を伝え合う。そのうち、いつも和服で出席される柳下美津子さんが、例の〝奴さん〟を踊られ、岡本三夫君が軽く変装し、ジョークで皆を笑わせた。
その後、若杉昭平君が、横高百周年記念誌〝百年の風〟の編集に当たり報告された。とにかく大仕事で大変だったが、中でも戦前から戦後(昭和15年~22年)の資料が全く見当たらず、お手上げに。
70年も前の人物を探すなど、委員長としてもさぞやと思う今、皆で「ご苦労さま」を言いたい。
こうして会が進む間、記念撮影の山田敏夫君と牧野好孝君がテーブルごとのスナップを撮って下さっていた。そして、最後に9月の旅行案内を石井敦君から話され、一次の会は終了となって解散に。
そして次の会へとホテルの2階に移動したのは三十数名。この二次会も久し振りだった。
カラオケで唄う人、カップルで踊るメンバー、懐かしく語り合う人たち。こうした各々は7時半をまわったころ、次の再会を期待しつつ別れて行った。
会場は4年ぶりに横須賀のセントラルホテル5階だったが、出席者はかなり多くて59名。その為、記念写真は1組~8組を二手に分けて撮るなど、多少、時間をかけたのは珍しい。
<1~4組>
<5~8組>
3時過ぎ、会を始めるに先立ち、青島康郎君の伝えた5期の物故者91名に対し、全員が黙祷・・・。
想えば、〝喜寿〟を迎える今年の我々にとって、今後、徒に長寿を望むだけでなく、悔いのない日々を過ごしたい。今回も〝欠席〟の返信に、「体調が優れず」を伝える数人が居られると聞けば尚更に。
さて、司会は3組の畔栁妙子さんと6組の池上康彦君。幹事代表として髙梨壽子さんが挨拶され、橋本敦生君が〝乾杯〟の音頭をとられれば、いよいよ〝懇談〟の場へと案内がされる。
先ず、各テーブルからは他のテーブルの友人へと移動が始まり、お酌して各自の近況を伝え合う。そのうち、いつも和服で出席される柳下美津子さんが、例の〝奴さん〟を踊られ、岡本三夫君が軽く変装し、ジョークで皆を笑わせた。
その後、若杉昭平君が、横高百周年記念誌〝百年の風〟の編集に当たり報告された。とにかく大仕事で大変だったが、中でも戦前から戦後(昭和15年~22年)の資料が全く見当たらず、お手上げに。
70年も前の人物を探すなど、委員長としてもさぞやと思う今、皆で「ご苦労さま」を言いたい。
こうして会が進む間、記念撮影の山田敏夫君と牧野好孝君がテーブルごとのスナップを撮って下さっていた。そして、最後に9月の旅行案内を石井敦君から話され、一次の会は終了となって解散に。
そして次の会へとホテルの2階に移動したのは三十数名。この二次会も久し振りだった。
カラオケで唄う人、カップルで踊るメンバー、懐かしく語り合う人たち。こうした各々は7時半をまわったころ、次の再会を期待しつつ別れて行った。
(石井美代子 記)