卒業後36年を経過し、平均寿命の折り返しも過ぎ、実業の場においてもカウントダウンが始まっている。また、目を世の中に転じれば、昨年の金融危機から端を発し、未曽有の激動が続いている。正に歴史は繰り返されている中、2009年7月11日に同期の集まりを開催した。今回のメンバーは、遠来は山形から、社長・役員から平社員、大学教授から塾講師、開業医や勤務医、公務員幹部から平職員、家業継承者などなどと多士済々。三十数年ぶり(つまり卒業後ほぼ初めて)の再会もあった。未だ独身を通している者が四人もいた。
実はこの会を我々は「七七七会」と称しているが、この機会にここ数年の会の活動(飲み会)をご紹介しようと思う。
卒業後数年は横須賀で毎年ほとんどの同級生が集まっていたが、皆社会人となり、仕事の都合で横須賀を離れる者も出始めた。やがて一部の関係者のみが個々に集まるだけになり、いつしか交流は途切れてしまった。そんな中、十数年前に仕事の関係からある二人が東京で偶然出会い何回か飲みに行くようになった。これがきっかけで東京地区での勤務者を中心に声を掛け合い、年に一回7~8人が東京で集まるようになった。最初に集まったのが七月上旬であったので、「七組のメンバーが七月の七夕に年に一回集まる会」として、略称『七七七会』となった次第である。七夕とはいえ、そこには織姫の姿は無い。ご存知の方も多いと思うが、我々の在学中は、男女校にもかかわらず男子クラス(8組中2組)があり、しかも三年間クラス替えなし。ついでに我がクラスは、三年間席替えもしなかったのである。
そんな集まりを重ねる中、この会に参加していないメンバーの消息を話すようになり、「もっと参加者を募ろう」とか、「久々に横須賀を訪れたい」などの要望があった。東京開催時には横須賀からわざわざ東京まで出向いてきてくれるメンバーもおり、七七七会を横須賀で行おうと声を掛け合い、2007年7月に初めて横須賀開催となった次第である。
2007年七七七会開催当日、一部のメンバーは、休暇を取得し、早くから横高・衣笠地区を訪問。横高では、事務所にお願いをして、校内を散策。ちょうどクラブ活動の時間帯であったが、在校生の気持ちの良い挨拶に迎えられた。人は変われど校舎は変わらず、懐かしさとともに変わらぬものへの驚きの気持ちが募った。近隣の街並みも時を経た年月程の変化はなく、白ばら・きよし食堂も健在。衣笠駅前商店街には、青春のエネルギーを「辛さ比べ」につぎ込んだ「北京・坦々麺」の看板もあった。
2007年七七七会は二十数名の参加を得た。会場は幹事の個人的趣向で「チェーン店居酒屋」。次々に懐かしい顔が現れ、その薄くなった頭髪と変貌した顔つき・体形に、唖然とすることしばしば。しかし、座って話し合えば、いつしか、経てきた年月・経験を一気に飛び超えて、青春真っ只中の横高時代へタイムスリップ。話題が話題を呼び、話せど話せど歓談は尽きない。時には当時の暴露話や、恋愛話なども...。
2008年七七七会は地元で由緒ある「料亭小松」で開催したい旨の提案が参加メンバーの中からあった。しかし、残念ながら日程と会場決定が急であったため横須賀在住在勤者中心で十数名の参加に止まった。そこで2009年の七七七会は数ヶ月前から準備を進め、しかも三年間の恩師・下山光敏先生のご招待も決定し、7月11日に再度「料亭小松」で七七七会を行うことになったのである。
料亭小松の建物や雰囲気に伝統を感じながら、宴会の前に女将のご好意で往時を偲び座敷内を皆で見学させていただき、東郷平八郎元帥や山本五十六元帥などの書も拝見させていただいた。これには皆感激。そして宴会が始まった。厳しくなる世相を反映し、最初は各人の近況が話題の中心となったが、早くもリタイヤを宣言し、第二の人生に踏み出しているメンバーもいた。また、体調や健康問題も切り離せない話題で、健診数値比べもしばしば。途中からはもちろんタイムスリップ。昔話に話が咲いた。クイズ形式で、下山先生の話題や、学校行事での出来事等々、記憶を競い合った。最後はお決まりの「坂東武者」と「勝利を目指し」で2009年七七七会は終了した。
当然一次会では時間が足りず、横須賀在住者の案内でお決まりの二次会へ。翌日の都合があると言っていたメンバー数人も去り難く結局二次会へ出席。終電をはるかに過ぎた頃の散会となったが、一部の者は3次会、4次会と・・・皆無事に帰路に就けたのだろうか。
今まで記したように、最近は会を重ねる毎に、参加者が増え、同級生の消息・情報も確かなものになってきている。更なる情報交換のために、簡単な独自のHPも立ち上げた。そして、他の組との合同開催の要望や、学年での開催の話も出てきている。残念ながら、具体的な動きには到っていないが、近い将来、是非とも学年で一堂に会したいと思っている。
25期各組のみなさん、如何でしょうか。
実はこの会を我々は「七七七会」と称しているが、この機会にここ数年の会の活動(飲み会)をご紹介しようと思う。
卒業後数年は横須賀で毎年ほとんどの同級生が集まっていたが、皆社会人となり、仕事の都合で横須賀を離れる者も出始めた。やがて一部の関係者のみが個々に集まるだけになり、いつしか交流は途切れてしまった。そんな中、十数年前に仕事の関係からある二人が東京で偶然出会い何回か飲みに行くようになった。これがきっかけで東京地区での勤務者を中心に声を掛け合い、年に一回7~8人が東京で集まるようになった。最初に集まったのが七月上旬であったので、「七組のメンバーが七月の七夕に年に一回集まる会」として、略称『七七七会』となった次第である。七夕とはいえ、そこには織姫の姿は無い。ご存知の方も多いと思うが、我々の在学中は、男女校にもかかわらず男子クラス(8組中2組)があり、しかも三年間クラス替えなし。ついでに我がクラスは、三年間席替えもしなかったのである。
そんな集まりを重ねる中、この会に参加していないメンバーの消息を話すようになり、「もっと参加者を募ろう」とか、「久々に横須賀を訪れたい」などの要望があった。東京開催時には横須賀からわざわざ東京まで出向いてきてくれるメンバーもおり、七七七会を横須賀で行おうと声を掛け合い、2007年7月に初めて横須賀開催となった次第である。
2007年七七七会開催当日、一部のメンバーは、休暇を取得し、早くから横高・衣笠地区を訪問。横高では、事務所にお願いをして、校内を散策。ちょうどクラブ活動の時間帯であったが、在校生の気持ちの良い挨拶に迎えられた。人は変われど校舎は変わらず、懐かしさとともに変わらぬものへの驚きの気持ちが募った。近隣の街並みも時を経た年月程の変化はなく、白ばら・きよし食堂も健在。衣笠駅前商店街には、青春のエネルギーを「辛さ比べ」につぎ込んだ「北京・坦々麺」の看板もあった。
2007年七七七会は二十数名の参加を得た。会場は幹事の個人的趣向で「チェーン店居酒屋」。次々に懐かしい顔が現れ、その薄くなった頭髪と変貌した顔つき・体形に、唖然とすることしばしば。しかし、座って話し合えば、いつしか、経てきた年月・経験を一気に飛び超えて、青春真っ只中の横高時代へタイムスリップ。話題が話題を呼び、話せど話せど歓談は尽きない。時には当時の暴露話や、恋愛話なども...。
2008年七七七会は地元で由緒ある「料亭小松」で開催したい旨の提案が参加メンバーの中からあった。しかし、残念ながら日程と会場決定が急であったため横須賀在住在勤者中心で十数名の参加に止まった。そこで2009年の七七七会は数ヶ月前から準備を進め、しかも三年間の恩師・下山光敏先生のご招待も決定し、7月11日に再度「料亭小松」で七七七会を行うことになったのである。
料亭小松の建物や雰囲気に伝統を感じながら、宴会の前に女将のご好意で往時を偲び座敷内を皆で見学させていただき、東郷平八郎元帥や山本五十六元帥などの書も拝見させていただいた。これには皆感激。そして宴会が始まった。厳しくなる世相を反映し、最初は各人の近況が話題の中心となったが、早くもリタイヤを宣言し、第二の人生に踏み出しているメンバーもいた。また、体調や健康問題も切り離せない話題で、健診数値比べもしばしば。途中からはもちろんタイムスリップ。昔話に話が咲いた。クイズ形式で、下山先生の話題や、学校行事での出来事等々、記憶を競い合った。最後はお決まりの「坂東武者」と「勝利を目指し」で2009年七七七会は終了した。当然一次会では時間が足りず、横須賀在住者の案内でお決まりの二次会へ。翌日の都合があると言っていたメンバー数人も去り難く結局二次会へ出席。終電をはるかに過ぎた頃の散会となったが、一部の者は3次会、4次会と・・・皆無事に帰路に就けたのだろうか。
今まで記したように、最近は会を重ねる毎に、参加者が増え、同級生の消息・情報も確かなものになってきている。更なる情報交換のために、簡単な独自のHPも立ち上げた。そして、他の組との合同開催の要望や、学年での開催の話も出てきている。残念ながら、具体的な動きには到っていないが、近い将来、是非とも学年で一堂に会したいと思っている。
25期各組のみなさん、如何でしょうか。
(高木康成 記)

