平成20年6月21日(土)午後2時54分。セントラルホテル会場内に、ショスタコービチの ♪祝典序曲♪ が高らかに。
会は170名で定刻3時にスタート。まず、この3年間に鬼籍入りした4名に黙祷を捧げる。会を代表しての挨拶は金子有一・10期会会長がスマートにこなす。
来賓祝辞は、100周年で多忙な中駆けつけてくれた、元文伊千夫朋友会会長がまずスピーチ。会長には、「10期は100周年寄付金でも入金率59.7%と抜群、本日の大盛況といい、そのパワーは並ではない」と褒められ、一同鼻をピクビク。皆も100周年事業の大成功に向け拍手でエール。
次いで、恩師五十嵐稔先生。先生は理科が専門。だから話は少々難しく?、理数に弱い教え子はただ、ウンウン。領いている間に祝辞はおしまいで、一同、ホッ。担任で只お一人元気な五十嵐先生は10期の星、いつまでも輝く存在でと、皆の声を司会が代弁。
スピーチの最後は当番幹事を従えての阿部俊幹事長の謝辞。簡潔にまとめる。なんせ 170名である。参加者一同声には出さないが"よくやった !"とばかり首を縦に。
これでやっと乾杯だ。発声は広島からの8組角井洵君、岡山からの3組山本敬子嬢の俄かカップルが、声を揃えて音頭をとり、清々しさを醸し出す。唱和する一同の"カンパーイ"の声が会場にこだまし開宴。
皆の目、口、耳は、飲み、食べ、喋りでほぼ塞がる。それでもって、DVDによる50年前の雄姿再現や恩師の歌などは、視聴率76%位にダウン。でも交流第一を目的とする幹事連はそれで満足だ。そんな中、司会の要請で来賓の本間慎司先生が登壇。この時ばかりは司会も「静粛に!」の号令を。しかしあまり効果なし。で、先生の前に人垣を作りトークと歌を拝聴する。一同、先生の一層のご壮健を祈りつつ拍手で謝意も表わす。
次は6月生まれ 11名の誕生祝いだ。全員登壇しプレゼントを受ける。30日生まれで滑り込みセーフの紅一点、家原紫嬢が代表して優しく謝辞を。
その間、参加者は展示コーナーで思い出の写真や骨董品 ?を閲覧したり、早くも出来あがった記念写真を幹事が配り歩くなど、ここらの要領は100点満点。
そんなこんなで無常にも宴はお仕舞いを迎え、あとは定番の校歌斉唱と閉会の辞、そして次期幹事の紹介を済ませお開きに。
校歌斉唱
とは言え帰りたくない人100名近くが、場所を移して2次会だ。50年ぶりの再会者が10数名、となればヒートアップは当然の成り行き。だが、こちらもアツという間に制限時間で、7時には毅然と散会。だらしないのは一人もなし。これぞ10期魂。各自それぞれの思いを胸に抱き帰途へ、或いは3次会へと散っていった。長時間、誠にお疲れさん!。
最後に当日参加の、遠来の友を記しておこう。(首都圏除く.・敬称略)
1組西村栄治(高槻市)、1組田中(中井)瑳久子 (藤枝市)、3組藤本(高須)久代(日光市)、 3組和田辰雄 (愛知県東郷町)、4組金田豊二 (吉河市)、
4組小嶋迫孝 (金沢市)、4組古尾谷逸生 (吹田市)、6組大西禎二 (銚子市)、8組喜代門英輔 (宇都宮市)、8組鈴木荘太郎 (名古屋市)、
8組小笠原 (竹内)敏夫 (酒田市)、8組中川洋一(藤枝市) [角井、山本は乾杯の項に]
遠い所ありがとう、敬意を表します。
次はまた 3年後開催、みんな 70代。次期幹事の諸氏、頼んだよ!
会は170名で定刻3時にスタート。まず、この3年間に鬼籍入りした4名に黙祷を捧げる。会を代表しての挨拶は金子有一・10期会会長がスマートにこなす。
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当番幹事の挨拶
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来賓祝辞は、100周年で多忙な中駆けつけてくれた、元文伊千夫朋友会会長がまずスピーチ。会長には、「10期は100周年寄付金でも入金率59.7%と抜群、本日の大盛況といい、そのパワーは並ではない」と褒められ、一同鼻をピクビク。皆も100周年事業の大成功に向け拍手でエール。
次いで、恩師五十嵐稔先生。先生は理科が専門。だから話は少々難しく?、理数に弱い教え子はただ、ウンウン。領いている間に祝辞はおしまいで、一同、ホッ。担任で只お一人元気な五十嵐先生は10期の星、いつまでも輝く存在でと、皆の声を司会が代弁。
スピーチの最後は当番幹事を従えての阿部俊幹事長の謝辞。簡潔にまとめる。なんせ 170名である。参加者一同声には出さないが"よくやった !"とばかり首を縦に。
これでやっと乾杯だ。発声は広島からの8組角井洵君、岡山からの3組山本敬子嬢の俄かカップルが、声を揃えて音頭をとり、清々しさを醸し出す。唱和する一同の"カンパーイ"の声が会場にこだまし開宴。
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記念ムービーの上映
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皆の目、口、耳は、飲み、食べ、喋りでほぼ塞がる。それでもって、DVDによる50年前の雄姿再現や恩師の歌などは、視聴率76%位にダウン。でも交流第一を目的とする幹事連はそれで満足だ。そんな中、司会の要請で来賓の本間慎司先生が登壇。この時ばかりは司会も「静粛に!」の号令を。しかしあまり効果なし。で、先生の前に人垣を作りトークと歌を拝聴する。一同、先生の一層のご壮健を祈りつつ拍手で謝意も表わす。
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思い出の資料展示 |
次は6月生まれ 11名の誕生祝いだ。全員登壇しプレゼントを受ける。30日生まれで滑り込みセーフの紅一点、家原紫嬢が代表して優しく謝辞を。
その間、参加者は展示コーナーで思い出の写真や骨董品 ?を閲覧したり、早くも出来あがった記念写真を幹事が配り歩くなど、ここらの要領は100点満点。
そんなこんなで無常にも宴はお仕舞いを迎え、あとは定番の校歌斉唱と閉会の辞、そして次期幹事の紹介を済ませお開きに。

とは言え帰りたくない人100名近くが、場所を移して2次会だ。50年ぶりの再会者が10数名、となればヒートアップは当然の成り行き。だが、こちらもアツという間に制限時間で、7時には毅然と散会。だらしないのは一人もなし。これぞ10期魂。各自それぞれの思いを胸に抱き帰途へ、或いは3次会へと散っていった。長時間、誠にお疲れさん!。
最後に当日参加の、遠来の友を記しておこう。(首都圏除く.・敬称略)
1組西村栄治(高槻市)、1組田中(中井)瑳久子 (藤枝市)、3組藤本(高須)久代(日光市)、 3組和田辰雄 (愛知県東郷町)、4組金田豊二 (吉河市)、
4組小嶋迫孝 (金沢市)、4組古尾谷逸生 (吹田市)、6組大西禎二 (銚子市)、8組喜代門英輔 (宇都宮市)、8組鈴木荘太郎 (名古屋市)、
8組小笠原 (竹内)敏夫 (酒田市)、8組中川洋一(藤枝市) [角井、山本は乾杯の項に]
遠い所ありがとう、敬意を表します。
次はまた 3年後開催、みんな 70代。次期幹事の諸氏、頼んだよ!
(司会者 : 小杉幸久記)