日時 2月21日(土) 13時から15時
会場 横浜エクセルホテル東急 (旧東急ホテル横浜) 2階
卒業以来37年ぶり、その後3回ほど同窓会はやったが、最後の同窓会からも27年ぶりの集まりだった。
きっかけは、最後の同窓会の幹事をした青木君が、遠く金沢の地で闘病生活をしているのがわかり、急きょ「激励する会」を立ち上げたこと。
朋友会から名簿を取り寄せたり、インターネットにメーリングリストを開設したりして、連絡を取り合い、その過程で、すでに5名の仲間が亡くなっていることがわかり、無常迅速の思いにとらわれもしたが、この際同窓会を開こうと気運が一気に盛り上がった。
その時点で連絡先が判明していた40数名に手紙を送り、なんと30名が参加し、30数年ぶりの旧交を温めあった。大阪から2名、下関からも1名が駆けつけた。
これを1次会として、ほぼ全員が流れたカラオケでの2次会。カラオケは、数人がアカペラで校歌を、「高校3年生」など懐メロの青春歌を何人かが歌った以外は、あちこちで輪を作り、また輪を作りして、いつまでも昔話や近況に談笑を続けた。
遠方から来た人が一人去り、二人去りしつつ、終電まで3次会、4次会へと続いたのであった。
会場 横浜エクセルホテル東急 (旧東急ホテル横浜) 2階
卒業以来37年ぶり、その後3回ほど同窓会はやったが、最後の同窓会からも27年ぶりの集まりだった。
きっかけは、最後の同窓会の幹事をした青木君が、遠く金沢の地で闘病生活をしているのがわかり、急きょ「激励する会」を立ち上げたこと。
朋友会から名簿を取り寄せたり、インターネットにメーリングリストを開設したりして、連絡を取り合い、その過程で、すでに5名の仲間が亡くなっていることがわかり、無常迅速の思いにとらわれもしたが、この際同窓会を開こうと気運が一気に盛り上がった。
その時点で連絡先が判明していた40数名に手紙を送り、なんと30名が参加し、30数年ぶりの旧交を温めあった。大阪から2名、下関からも1名が駆けつけた。
これを1次会として、ほぼ全員が流れたカラオケでの2次会。カラオケは、数人がアカペラで校歌を、「高校3年生」など懐メロの青春歌を何人かが歌った以外は、あちこちで輪を作り、また輪を作りして、いつまでも昔話や近況に談笑を続けた。
遠方から来た人が一人去り、二人去りしつつ、終電まで3次会、4次会へと続いたのであった。
幹事 新倉五郎、野村敏明、吉田茂正
(高橋誠・記)