◆校舎に併設された寄宿舎
明治41(1908)年10月25日に開設され、全生徒の約1割の60名が入舎していた。横須賀中学校に寄宿舎を設けたのは、吉田庫三校長の当初からの考えであった。入居者は遠距離通学者や転勤した軍人や官吏の子弟のほか、水商売の子弟、その近くに住む生徒などであった。 因みに、寄宿舎はほかにも県立第一中学校(現希望ヶ丘高校)にあり、明治31年に生徒を入舎させている。
◆袴姿の第四中学生
この頃、修身の教科書でもあった「生徒心得」が学校生活の規範であった。学校外の日常生活においても同様で、服装は外出時も制服または和服に袴の着用が求められた。写真は何かの記念に写真館で撮ったものであろう。帽子は「四中」、手にしている本は不明。
◆卒業記念絵はがき・第2回卒業生記念写真
大正3年の第2回卒業生46名の記念写真。 この時代は卒業アルバムがなく、卒業記念写真と吉田庫三校長の言葉を絵はがきにして、第6回卒業生まで贈られている。吉田庫三先生の初期教育の内容を知るうえでたいへん貴重である。
明治41(1908)年10月25日に開設され、全生徒の約1割の60名が入舎していた。横須賀中学校に寄宿舎を設けたのは、吉田庫三校長の当初からの考えであった。入居者は遠距離通学者や転勤した軍人や官吏の子弟のほか、水商売の子弟、その近くに住む生徒などであった。 因みに、寄宿舎はほかにも県立第一中学校(現希望ヶ丘高校)にあり、明治31年に生徒を入舎させている。
◆袴姿の第四中学生
この頃、修身の教科書でもあった「生徒心得」が学校生活の規範であった。学校外の日常生活においても同様で、服装は外出時も制服または和服に袴の着用が求められた。写真は何かの記念に写真館で撮ったものであろう。帽子は「四中」、手にしている本は不明。
◆卒業記念絵はがき・第2回卒業生記念写真
大正3年の第2回卒業生46名の記念写真。 この時代は卒業アルバムがなく、卒業記念写真と吉田庫三校長の言葉を絵はがきにして、第6回卒業生まで贈られている。吉田庫三先生の初期教育の内容を知るうえでたいへん貴重である。
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